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一万年の眠り(6)~眠りから目覚めて

 これまで述べてきたように、我々ホモ・サピエンスの祖先は、深い森の中で、数十名のバンド社会を形成し、狩猟採集を営みながら、森の中を移動して暮らしてきた。そのライフスタイルは20万年の長きにわたった。
 しかし彼らはある時期に森を出て草原に住み、さらに約1万年前から狩りをやめて農耕(あるいは牧畜)を開始し、群れを大規模化・階層化させ、大地に定住し、食料をはじめとする財を貯めこむようになった。
 この急激なライフスタイルの変化は、おそらくはヒトの精神にある種の歪みを生み、その歪みを解消するために、ヒトは祭りにおける財の蕩尽や、同種間の殺し合いといった、他の動物では考えにくい補償行動を起こしてきたのではないか、と筆者は考えている。
 しかし21世紀に入り、ヒトの環境が再び変わり始めている。デジタル情報化社会では、ヒトは土地の縛りから解放され、森の豊かな恵みを再評価し、新たな人間関係を模索し始めている。具体的な動きをいくつか列挙してみよう。

ソロキャンプ

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 ソロキャンプとは、一人でオートキャンプ場などにテントなどを持参して行うキャンプ(野宿)のことで、新しいアウトドアとして若者を中心に盛んに行われているものだ。ここでは誰にも束縛されることなく自由に自分だけの時間を過ごすことができ、キャンプの醍醐味である焚き火なども、一人で楽しめる。周囲に誰もいないので、意識は身の回りの自然に注がれるようになり、必然的に[生態系感覚]を全開することになる。

多拠点生活  

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 デジタルネットワークの発達とともに、モノやサービスではなく情報を専門的に取り扱う人々が急増している。これに伴い、かつては農地・牧場・工場といった拠点に職住近接していなければ仕事にならなかったのが、インターネットやスマートフォンの普及により、これらの土地の縛りから解放され、仕事場と住居を近接しなくてもよくなってきた。すると、[パソコンを持って田舎暮らし、月に一度都心の本社へ出勤]といった多拠点ワークへの道が開け、すでに若い人を中心にこのような人たちが現れ始めている。
 生活の場を多拠点に据えることによって、狩猟採集時代の「移動本能」を復活させ、ヒトは土地従属の心理的抑圧から解放されつつあるのではないか、と思われる。

シェアリング・エコノミー

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 日本の高度成長期には、多くの家庭が「家屋、家具、電化製品、車」などを買い求め、私有財産を増やすことこそが「豊かさ」の指標だった。しかし21世紀になると、多くの若者が、シェアハウスやカーシェアリングといった形で「持たない」ことを選択しはじめている。ネットの世界でも、写真や動画をクラウドコンピューターに「預ける」ことが主流になっていて、昭和の時代のように「家族のアルバム」をタンスに大事にしまっておくような家庭はもはや少数派だろう。
 これは単に大衆が貧乏になったからではなく、私有財産を減らして「身軽になりたい」という無意識の願望の表れではないか?また、モノやサービスをCtoC(消費者から消費者へ)で使い回すことで、より格差が少なく資源消費も少ない社会を志向しているようにも思える。
 再び市川氏の本によると、ピグミーたちは家財道具は最小限のものしか持ち合わせていない。これは移動生活が基本のため、運搬が困難にならないよう配慮しているからだ。これが後に定住し、農耕を始めると、次第に蓄財するようになり、結果、それを奪おうとする他の民族との抗争が激化することにもなった。そう考えると、21世紀のシェアリングの動きは、人類史一万年後の新たな潮流のように思えるのである。

ティール組織

 企業でも役所でも、通常は組織というものは階層別になっていて、一番上には社長とか大臣がいるのが普通だが、そういうピラミッド構造ではなく、世の中には10〜30名くらいのチームの集合体として横のつながりだけで(いわゆるマネジメント層なしに)運営されている組織がある。このような組織を「ティール(進化型)組織」と名付け、理念や特長を解説したのが、フレデリック・ラルーという人が著した本「ティール組織」である。
 ティール組織の共通する最大の特長は「自主経営」、つまり部長や課長などの中間管理職を廃し、社員一人一人がすべての裁量権を持ってしまうことである。裁量権とは、例えば、自社の工場に100万円の機械を導入したい場合、その機械を使いたい作業者自身が機械を選定し、導入を決定する。
 あるいは、現場に新たな社員を雇う際も、現場の社員が欲しい人材を独自にリクルートし、面接して契約を決める。
 このような一般社員への裁量権の付与は、1つ間違えばいわゆる企業統治を崩壊させ、種々のトラブルの元になるので、厳に慎むのが常識というものだろう。巨額の損失を会社に与えた場合、一般社員では責任の取りようがない、とも考えられる。しかし大企業のトップでも粉飾決算などコンプライアンス違反を平気で行う場合もあるわけで、そうであればリスクの大きさは、結局は社員一人一人のモラルや判断力に依存していることになる。そしてティール組織の場合、工場で使う機械の選定や、現場で必要な社員の選定の是非は、「現場が一番よく分かっている」と考えているわけだ。一方で、このように社員1人1人に決定権を付与することは、その当人たちのやる気を醸成するという点で大きなメリットがある。
 このティール組織は、「少人数のグループが横につながっていて、階層構造を持たない」点で、ピグミーのバンド社会ととてもよく似ている。むろん、社会環境の違いを度外視して、単純にこの2つの形態を比較することはできないが、やはりヒトは数十名規模の単位で独自に活動することがメンバーの活性化につながるということを、結果的に証明しているのではないかと思う。

価値観の重層化

 最後に、現代人が狩猟採集民族の生き方を参照する際に心がけるべきことは「価値観の重層化(ハイブリッド化)」だろうと思う。狩猟採集時代のライフスタイルと現代のライフスタイルはあまりにもかけ離れているので、一万年を飛び越えてかつてのスタイルに戻ることなど到底できない。
 しかしながら、二つ以上の価値観、ライフスタイルを一人の人間が併せ持つ(状況に合わせて使い分ける)ことは可能だろう。例えば、仕事は大規模組織の中で働きながら、余暇は別の小規模な[バンド]に属して活動する、あるいは、普段は都心に住居を構えながら、山林の一軒家を友人とシェアして時々パソコンを持ってそこを訪れるなど、様々なバリエーションが考えられる。こういったことを気軽に実行していくことが、人類の原初のマインドに接近する試みとなっていくだろうと思う。

* * *

いまあなたの目の前に、褐色の狩猟採集民が一人静かに横たわっている。
しばらくするとそのヒトは、1万年の眠りから目覚め、ゆっくりと起き上がり、あたりを見回す。そして、ユニクロのTシャツとジーンズを身に付けているあなたを発見し、にっこりと微笑む。

 あなたは彼とどんな話をするだろう?
 そして彼をどこへ連れて行くだろうか。
 そこから未来に向けた新たな歩みが始まる。
 一万年の眠りから覚めた人類の第一歩が。(了)


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