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助けの求め方

こんばんは、hillyです·͜·


助けを求めるって自分にはすごく難しいことで、幼い頃から人に助けを求められない子供で、そのまま大人になってしまいました。


人に迷惑をかけないように、親の邪魔をして怒られないように、、と考えてばかりいたら、助けを求めてはいけない。自分でやらなくてはいけない。という思想になってしまいました。

幼い頃は、自分で着替えたり、靴を履くのが難しくても、「着せてください、履かせてください」と言えなくて、大人が手伝うまでずっと一人でめそめそ泣きながらやっていました。


泣くなら、助け求めろよ。って話なんですけど、、

そんなことはわかったうえで、どうしてもできないんです。



できない自分を認めるのが嫌で、できないことを馬鹿にされるのも怖くて、助けを求める=負けを認めることのように感じて、そのせいで自分が頑張ってもできないようなことでも人に助けを求められなくなってしまいます。




  • 人に甘えることはできるのに、どうして助けは求められないのか


    人に甘えるのが得意と言われてきたのに、助けを求めることはできませんでした。


    幼い頃から私は単語だけで話すことが多くて、「何をどうしてほしい」と言葉で表すことが苦手でした。うまく思っていることが口に出せなくてもどかしくて、そのたびに泣いていました。


    助けを求めるっていうのは単語だけで済む甘え(わがまま)と違って「自分がこうしたいから、あなたにこうしてほしい」と言わなくてはいけないのが難しく助けを求めることを躊躇ってしまいます。


    今こうやって文章を書いていますが、これは自分の思いを外に出す練習の為で、リアルな私は自分の考えていることを言葉にして人に伝えることが苦手で、口に出してもかんがえちる事と少し違ったニュアンスで相手に伝わってしまうことも多くもどかしくなります。


    そう考えると、今文章を書いていることが、人に助けを求める練習にもなっているのかもしれません。



 助けを求めることに対して考えすぎだと思われるかもしれないですけど、親に助けを求めることも求めないことも迷惑だと言われ、自分でできるようになれと教えられてきたので、今更捉え方を変えて生きてくことは難しいです。

 ですが、病気の進行でできないことが増えてきている中で、できていたことができなくなって更に助けを求めることに抵抗感を持つようになりました。

自分が病人であることを認めるのにも時間がかかったのに、できないことが増えていく悔しさともどかしさが常にあり、いまだに自分の病状を認められていません。


 しかし、いつかは助けを求められるようにならないと誰にも助けてもらえず孤独死してしまうかもしれないです。


  そうなってもしょうがないとあきらめることもできますが、今はできるだけ助けを求められるように努力しようかなと思います。(思っているだけです)

今回も長々と暗い話を読んでくださりありがとうございました( ᴗ ᴗ)⁾⁾

  ただ自己満で自分の気持ちを整理するために書いているだけなので、変な文書かもしれないですけどこれからも誰かに読んでもらえたら少し嬉しいです(ᐡ_ ̫ _ᐡ)

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