映画トリコロール青、白、赤の愛

 映画トリコロール青、白、赤の愛を、たいそう興味深く見た。
小説の修行をしていた30年ほど前、下北沢のレンタルビデオ店の名作をほとんどあさり、店主とも親しくなったほどだった。
 その後、大体映画の型も見尽くした気がして、映画からは離れていたが、まさかの自分の小説が映画化される運命が巡ってきて、また盛んに見るようになると、映画自体もずいぶん進化しているように感じた。私自身の眼差しも、鑑賞する側から制作する側に回りつつあるせいだろうか、細部の見え方が、以前とはまるで違った。
 やはり主人公の演技力、人間性が最も大切であるという事。青の愛の部分では、愛する夫と子供を亡くした、そこそこ美人の作曲家の愛情、情愛についての機微はとてもよく描かれていると思った。が、作曲家、つまり創造者としてのツッコミが足りない。創造者の魂は、荒れ狂う嵐のようだし、身体の不自由な人に対する眼差しは、良きにつけ悪しきにつけ、もっと敏感なはずだ。ほんのわずかなカットだが、見る人は見ている。
 白の愛のポーランド人の男性の運命には、大いに同情を惹かれる。私がもしパリに暮らせば、同じ目に遭わされただろう。大袈裟でもなんでもない。実にリアルだ。かつて個展を開いたり、わずかな期間、彷徨ってみて、パリは怖かった。でも、良い友人はフランス人の方が多いくらいだし、またパリに行きたくなるのが不思議だ。
 赤の愛の、隠居検事の存在はなかなか面白かったが、ああいう人物がうまく描けてしまうと、逆に作り物っぽくなってくるところの塩梅が難しい。
 小説だと、ほとんどエンターテインメントに堕してしまう恐れがある。そういえば、パトリック・モディアーノのプティビジューだったっけ、訳のわからないラジオを盗聴している人がいたな。そういうのって、ヨーロッパには多いのかな?
 ほどほど美人の作曲家が、深刻な恋のさすらいの末、隠居おっさんに惚れていく(筋は見え見えだったけれど)のは良かったね。アムール・ルージュ!

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