あなたの人生生きてる?

これは、ライフコーチの方とコラボライブ中に実際にしたお話です。


「語弊があるかもしれませんが・・・」

そう前置きをした上で、僕なりの考えをアウトプットさせてもらった


「95%の方が、デタラメな人生を生きてるんです。」


えっ?

「何を言ってるんだ!!」

そんな声が聞こえてきそうですが



大マジで言ってます。


断言できます!言い切れます!
(おそらく僕もかもしれない)


あなたはデタラメな人生を生きています


脳科学的な理由ももちろんあるので最後まで読んでくださいな。


1.あなたの人生は、何でできている?


あなたの【人生】という個体を輪切りにしてみよう。
いや、みじん切りでもいいかもしれない笑

あなたの人生は、何で構成されている?


一つの切り口かもしれないけど、


【選択(判断)したもの】 と言えるのではないだろうか?


人は毎瞬毎瞬、様々なことを【選択】して生きている


朝起きて何しようか?水を飲む?白湯を飲む?
朝ごはんは何にする?服は何を着る?
対人であれば、どんな声かけをするのか?
例えばルーティンができているのであれば
【いつもと変わらないこと】を【選択】しているのである


ここまで理解できた方は、どうぞ挙手をしてほしい。

OK、みんな手を挙げてるね笑


では次だ。



その選択や判断には【基準】があるのです。

マイルール・根拠 名前は何でもいい。
何かしらそのようなものがあって、僕たちは判断し、選択をしている。


では、その【基準】は何からできているのか?というとこまで深堀ろう!
(マトリョーシカみたいで申し訳ないですが汗)


【判断基準】を作り上げているのは


【信念】です。


これを専門的に言うと【ビリーフシステム】と言います。

信念とは、【信じてやまないこと】を指します。

文脈上【いい意味】で使われる事が多いこの言葉ですが
【悪い意味】でもあります。


「そんなこと、私にできるわけがない!!!」

これも信念であり、ビリーフシステムです。


インスタライブを1人で顔出ししてやることに抵抗がある人は
私がインスタライブなんてできるわけがない!!
という【信念】を持っています。


では、マトリョーシカ現象の最後になります笑



その信念【ビリーフシステム】は、どうやって創り上げられるのでしょう?


それは、【周りからの声掛け】です。


2.あなたの人生は、【周りの声】によってできている


そんな馬鹿な!と思うかもしれませんね。ですがこれは事実です。


例えば、小さいころ人前で歌っていて

「人前で歌わない方がいいよ!」

なんて言われたら、あなたはどう思いますか?



「えっ?私って、歌下手なのかな?」


そんな風に思うことでしょう。


そうすると
「私は歌が下手なんだ」という【信念】が出来上がり

それ以降【人前では歌は歌わない】という【判断基準】が生まれるわけです。


ほんの一例ですが、こんなようなこと
星の数ほどありませんか?


僕は小学校の頃の友達の
「白パン履くやつの気が知れん。。。」というたった一言から
【白パンを履くことはいけないこと】という【信念】
自ら作り上げていたことに大人になってから気づきました。


それに気づいた僕は、【白パンをはいてもいいんだ!】と自分に許可し、
【信念】を書き換えたことで、白パンをはき始めました。


例の友達に久しぶりに白パン姿で再開したところ
「あれ?おしゃれになった?」と言われた。

内心「おい、コノヤロー」だった。笑
人生ってそんなもんです。


そんな僕の思い出話はさておき、本題に入りましょう!


3.なぜ、デタラメの人生だと言い切れるのか?


あなたの人生はデタラメです。

あなたの人生は、【周りの声】によってできていると
解説しましたね。

【周りの声 → 信念 → 判断基準 → 選択(の連続)=人生 】


なぜ、あなたの人生はデタラメなのか?


それは


あなたがたっぷりと受け続けてきた【言葉のシャワー】の語り主が


コーチではないからです。


あなたが生まれてきて、今の今まであなたに浴びせられてきた
言葉のシャワーは
【95%】はコーチングを学んでない、言ってしまえば
「人を導く素人」
からの声掛けだからです。


あなたを導くためにあなたに声掛けしてくれる人が
いったいどれだけいるのでしょう?
また、過去にいたことでしょう?


仮に便宜上、あなたのためと思い声掛けしてくれる人もいますが
果たしてその人は【コーチング】を学んでますか?
(親や姑などのありがた迷惑な声掛けが最たる例です)


そうなんです。
あなたに今までかけられてきた言葉は
その日の相手の気まぐれであり、気分であり、思ったことであり
つまりは言いたい放題な状態で生み出された【言葉のシャワー】


いってしまえば、
【あなたがあなたらしく生きるためには、まったく関係のない声掛け】
をあなたが真摯に受け入れ、信じ込み【信念】を作り上げ
あなたの人生はできているんです。


これこそが、あなたの人生はデタラメだと言い切れる理由です。


この現象と深く関わっている脳科学的な言葉に
「認知的不協和」というものがあります。


簡単に言うと、自分の信念と異なる考え・出来事・人物と出会うと
気持ち悪さを覚え、それを解消するために
自分の内側か外側を変えることで不一致を取り除こうとする心理的作用
です。


例えば会社員が集まる中で
「私は起業する!起業して大金持ちになる!!」
なんて言おうものなら、大バッシングを受けることでしょう。


起業して大金持ちになられては
「会社員として働いている私は何なの?」とみじめに感じられ
気持ち悪さを覚え、それを正当化するため


「やめといたほうがいいよ」と声掛けしてくれるのです。


心当たり、ありまくりですよね。


でもね、いざその人が起業して成功をしたらね


「私は成功すると思ってたわ」とか都合のいいことを言うんですよ。

【成功者を快く送り出したいい人】になりたいからなんですね。
面白いですよ、認知的不協和って。笑


4.あなたは、あなたの人生を生きるべき



あなたがあなたらしい人生を歩むために
絶対的に必要なことは


あなたが選ぶこと。


あなたは本当の意味で
自分の意志で選択できてる?



誰かの言葉、意見を真に受けすぎて判断してない?
その誰かって、神様かな?お釈迦様かな?ブッダかな?


断言します。人はズレまくってます。
もちろん僕もです。


大事なのは、【人はズレているし、偏っているし、主観が必ず入っている】ということを理解することです。


でも、多くの人が【この人がいうなら間違いない】とか
盲目的に信じてしまうんです。


いいですか?



例えば、鹿島アントラーズというサッカーチームの記事があるとします。


その記事も


【鹿島の事が好きで好きでしょうがない人が書く記事】
【鹿島の事が嫌いで嫌いでしょうがない人が書く記事】によって
読み手の印象、もっと言うなら【信念】は変わってきます。


鹿島の事が嫌いな人が書く記事を読んだら、
そのひとは鹿島の事が嫌いになるでしょう。

「鹿島って最低なチームだな。」って。


客観的に見たら、そんなことおきるか~~い!って思うかもしれませんが、
残念ながら、起きてます。


何が問題かというと
鹿島の事が嫌いな人が書いた記事を読んだだけで、大半の人が
【鹿島は悪だ】と決めつけちゃうんです。

これに近いのがネットニュースやテレビの情報です
(偏りまくりです)


鹿島について語るなら
鹿島の事が好きな人の話も聞くべきではないだろうか?


アメリカにも正義はあるし
ロシアにも正義はある


例えばロシアは悪だと決めつけてる6人が話し合ったら
その場の空気は「ロシアは悪だ」となる


ただ、ロシアは善だ!と思っている人の中に先ほどの人が一人入り込んだらどうか?
「ロシアは悪じゃないかもしれない」となるわけだ


5.正義のヒーローものが好きじゃない理由


少し個人的な話をしよう。


僕はアンパンマンとか、○○レンジャーといった、
【正義のヒーローもの】があまり好きじゃない。
できれば子供にも見せたくはない。


それはなぜか?


リアルな世界とかけ離れているからだ。
リアルな世界は、【正義】と【悪】なんかでは分かれてはいない。


人それぞれ【正義】を持っていて、それぞれの正義を尊重すべきなんだ。
でもね、正義と悪とに分けてしまうと

誰もが【自分が正義】だと信じたくなるんです。
だから、自分と相反するものが【悪】と決めつけてしまうんです。


ちなみに僕の正義の癖を言っておくと


僕は【長期的な目線でアドバイスをする】という癖がある。
し、それが僕の正義になっている。


僕は小学校6年生のころ、地元のサッカークラブに入団したのだが
レベルが高すぎてついていけず、すぐには母に弱音を吐いた。
「もうやめたい。。。」と。


しかし母は「もう少し、頑張ってみたら?」と声をかけてくれた。


吹っ切れた僕はその後
信じられないシンデレラストーリーを歩み、8か月後
フットサル全国大会で全国得点ランキング16位という偉業を成し遂げた。


もしあの時やめていたら、そんな感動もなかったし、もっと言うなら、
その後のサッカーやフットサルの感動的な経験もできなかったかもしれない。


「いやならやめてもいいよ。」という言葉は一見その人にとって
やさしい声掛けに聞こえる。


さじ加減は本当に難しいラインだけど、
果たして長期的に見て、その声掛けが本当に適切なのか?
よくよく考えてみたいものだ。


僕が言いたいのは【長期的なアドバイス】は一つの正義でもあり
【短期的なアドバイス】も一つの正義であるという事


正解かどうか?答え合わせは死ぬときにしか分からない


あなたの選択が正しかったのか?
間違っていたのか?


それははっきり言って


【死ぬときにならないと分からない】


だとするならば


自分の意志で道を選ぶべきだ。


最悪なのは、他人の意見を鵜吞みにした結果
間違った人生だったと、後から後悔することだ



人生を最大限楽しむ秘訣は
自分の道は自分で選ぶことだ


他ではないあなたの人生だ


いつまで他人の人生を生きているつもり?


あなたはあなたという人生を全うするために生まれてきた


忘れてはいけない



人生はもっと楽しんでいい
人生はもっと幸せでいい



1人でも幸せな人を輩出したい



そう願うばかりです。



自分を生きよう






 












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