![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/156470904/rectangle_large_type_2_5a51ecfc30e05ec0fb0a9169cf9fbfa9.jpg?width=1200)
そして、何も言えなくなった。
誰もがスマホをぽちぽちする時代。
みんな、本当に幸せになったのだろうか?
何も時代の変化を憂いたいわけじゃない。
けど、行きすぎた気もする。
食べすぎも、飲みすぎも、行きすぎも良くない。
目には見えない顔色を見ている。
世の中では誰もが誰かの顔色を見ながら社会は動いているが、目の前に誰もいなくても顔色を見ている。
それは素晴らしいことなのか?
本当に望んだことなのか?
そのカウンターと言うべきなのか、X(旧Twitter)は荒れ狂っている。はっきり言ってほとんどゴミ箱になってしまったのだ。
気がついている人も多いだろうが、Xに世論はない。
むしろ、Xの流れと逆方向に世論はあると言って差し支えなし。常にXの逆方向に世の中は動いている。
ある時を境に、ちょうどいい場所が見当たらなくなった。
マイノリティだったネットユーザーが完全なるマジョリティとなり、マジョリティだったテレビ視聴者が完全なるマイノリティとなった。
「テレビけっこう観てます」と誰かが言えば、「変わってるねえ」と誰かが言うようになった。
個人的な主観ではあるが、半々くらいの時代が良かったのではないだろうか。何事も偏れば偏った分だけ歪んでいく。
今思えば2000年代アタマくらいのバランスがちょうどよかったのかもしれない。
ネットは普及し始めたが、世の中にスマホはない。
ノートパソコンくらいは持ってて、ガラケーにカメラがついてワーワー言うてたくらいのあのタイミング。
今思えば、あの頃のバランスはちょうどよかった。
しかし、誰もが2000年の初頭を生きているタイミングでバランスの良さに気がつくことはない。
その頃の当たり前は当たり前なので、誰も気がつかない。
あの頃は、こんな行きすぎる時代になるなど微塵も考えていなかった。
現代のシーンを玉石混交とはよく言うが、もはやその時代すらも過ぎ去った気がする。
結局、多様性と軽々しく言いすぎたツケが回っている。
優劣の判断がしにくくなり、独り歩きした言葉がブーメランのように返ってきて首がしまっているのだ。
その結果、何も言えなくなった。
今は無口しか生き残れない時代となった。
みんな捻じ曲げられる恐怖と常に戦っている。
何かを発すれば、その先何がどうなっても仕方ないというペナルティが自動的につきまとう。
何か言葉を放つと同時に十字架を背負うのだ。
ネットにわけの分からない悪態を書き込んでいる愚かな人間は、その十字架を背負うことなく好き放題不平不満を書けることに快感を覚えてしまったのかもしれない。
言わなくていいことをいちいち書き込んで人に不快な思いを与えられる神経は、明らかに何かが欠落している。
その結果、Xの世界は世論の反対側となった。
リアルじゃない場所でリアルを語るフリをするのは無理がある。リアルは自分の半径5メートル以内だと認識すべし。
リアルな世界で何も言えなくなった結果、
何でも言えるフェイクな世界が出来上がった。
だけど、何でも言える世界は絶望的に芯を食っていない。
我々にはちょうどいい場所が必要だ。
いいなと思ったら応援しよう!
![ゆじりこ【放送作家・ライター】](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14002735/profile_3e267afa6c11b7b56b9228b08b9b88b8.jpg?width=600&crop=1:1,smart)