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<映画評>『アラビアの女王』

『アラビアの女王 愛と宿命の日々 The Queen of the Desert(砂漠の女王)』 2015年 アメリカ・モロッコ合作 ヴェルナー・ヘルツォーク監督

『アラビアの女王』

 映画のモデルとなった「アラビアの女王」あるいは「砂漠の女王」ガートルード(発音に忠実なら、ガースルードと聞こえる)・マーガレット・ロージアン・ベルについては、ウィキペディアでは、以下のように解説されている。なお、CBEは「大英帝国勲章司令官」と訳されているもので、上から三つ目のランクになる。

 また、イラクの(1958年の革命で滅んだ)王朝を「ハーシム」と表記しているが、マホメットの直系の血筋ということであれば、「ハシュメテ」の方がアラビア語原音に近い表記となる。そして、このハシュメテ朝として唯一現存しているのが、ヨルダンのアブドゥラ国王である。

ガートルード・マーガレット・ロージアン・ベル
(英: Gertrude Margaret Lowthian Bell, CBE、1868年7月14日 - 1926年7月12日)は、イラク王国建国の立役者的役割を果たし、「砂漠の女王」(Queen of the Desert) の異名をとったイギリスの考古学者・登山家・紀行作家・行政官・情報員。シリア・パレスチナ、メソポタミア、小アジア、アラビアを広範囲に旅して築いた彼女の知識と人脈により、探検や地図作成を行い、イギリス帝国の政策立案に大きな影響力を持つようになった。ベルはT・E・ローレンスと共に、現在のヨルダンやイラクのハーシム朝を支援した。

 私は、この映画に関心を持った多くの人たちと同様に、デイヴィット・リーン監督の『アラビアのローレンス』からイメージして、「女性版ローレンス?」というのが鑑賞する契機だった。そして、ヨルダンで3年弱仕事していた割には、アラビア語もろくに覚えず、またT・E・ローレンスについては、『智慧の七柱』を読んだくらいしか知識を得ていない私は、ガートルード・ベルのことを知らなかった。

 イラクとベルのことについて未詳だったことについて、もっと卑近な例を言えば、イラクがアメリカに占領される直前、サダム・フセイン(あるいはバース党)の関係者が隣国ヨルダンに多数逃げており、アンマンにも多数居住していた。そして、皆ある程度金持ちだった。彼らが逃げてきた理由を、私は「隣国だから」ということぐらいにしか考えていなかった。

 しかし、その後アンマンに住む人々を知っていくに従い、イラクから最近逃げてきたのではなく、昔からヨルダンに住んでいるイラク系の人たちが沢山いることを知った。もっと正確に言えば、同じ民族がイラクとヨルダンにたまたま別れて住んでいるだけで、国が違っていても同じような生活をしている人たちなのだった。なぜそうなったかと言えば、イギリスが、イラクの石油利権を手中にするべく、中東地域の安定を図った結果、(ローレンスの提案を受けて)現在のヨルダンを第一次世界大戦後に緩衝地帯として作り、パレスティナとイラクを分割したためだった。

 当然ここで「では、イラクの建国もローレンスに起因するのだろうか?」という疑問が出ていいのだが、私の関心はそこで止まってしまい、ヨルダン国内でローレンスの痕跡を見つけるだけで満足していた。さらに、イラクは紛争地域でもあったので、シリアやイエメンとともに、紛争状況は常に注意していたが、歴史的なことについては関心の外に置くしかなった。

 そうした中で、今回ベルが「イラク建国の母」と称されているのを知って、ずっと手つかずのままだった疑問が、本作を見ることで解消されるのではないかという気持ちになったことも、今回鑑賞した理由だった。しかし、本作品を見た限りでは、ベルがイラク建国にどこまで関与したかはよくわからなかった。一方、ヨーロッパ人未踏の地であったヨルダンとイラクの国境付近を「探検」し、ヨーロッパ人として現地部族との接触を持ち、第一世界大戦後のオスマン・トルコの領土をフランス(帝国)と山分けする際の貴重な情報を、大英帝国にもたらしたことは、簡潔に描かれていたと思う。

 また、映画の最後の場面で、将来のヨルダン国王となるアブドュラ王子と将来のイラク国王となるファイサル王子に面会し、両王子も知らない国王就任をベルが会話の中で匂わせる場面からは、ベルがイラク(及びヨルダン)建国に関与したことが伺われる。しかし、これだけではよくわからないというのが実情だろう(もっとも、これは「ベルの映画」であって「イラク建国の映画」ではないから、この描き方は当然なのだろうが)。

 なお、イラク建国の関係については、ウィキペディアに詳細に解説されている。それによれば、イラクを大英帝国が占領支配し、ファイサルが国王に就任した後も、ベルはずっとイラクの「影の支配者」であったとしている。そして、当時のベルがイラクに行った統治方針が、現在のイラクの混乱を招く遠因となっていることは、否定できないとも書かれている。しかし、だからといってベルの「功績」を全否定するのは極端すぎるので、私はそれを支持しないが、「イラク建国の母」というのも、大げさすぎると思っている。(ダグラス・マッカーサーを「戦後日本建国の父」とは称しないように。)

 話はだいぶ映画から逸れてしまった。本作は、ベルの歴史的評価をすることが目的ではない。彼女の二人の恋人との別れと、大英帝国の上級貴族として生活することができなかった、知能と体力そして強靭な心を持った女性が、自分に適していない時代をどうやって生き抜いたかということが、目的=作品のテーマとなっている。つまり、簡単に言ってしまえば(最近の朝ドラで大流行している)「強い女の成功譚」だ。

 そして、映画作家としてのヴェンダースの映像手腕はそつなく職人的に上手い。また、上述したテーマも、程よく現代的で観客に支持されるものだろう。しかし、リーンの『アラビアのローレンス』では、冒頭と最後のシーンで象徴的に表現されているように、単純なアラブ独立万歳、大英帝国万歳という物語ではなく、またなによりも、ローレンスという英雄の冒険譚として描いていない。むしろ、ローレンスという非常に複雑な芸術的・文学的・学者的人間の、輻輳した心理と生き方が表現の中心となっていた。これと比較すれば、英雄的女性の恋と冒険の物語式に描かれている『アラビアの女王』は、何か物足りない気分になってしまうのは、どうにも否定できない。

 そうした英雄譚としての表現は、ラストシーンでアブドゥラとファイサルの両王子に面会した後、ラクダで砂漠を疾走する「かっこいい終わり方」に象徴されている。一方真相は不明だが、ベルの人生の終わりは決して英雄的なものではなかった。睡眠薬の大量摂取が死因とされており、イラク建国に伴うさまざまなことから失意にあったことが想像される。つまり、「20世紀の偉大な冒険者」、「時代に先駆けた先鋭的で強い女性」というイメージではカバーしきれない、多くのネガティヴなものをベルは抱えていたはずなのだ。しかし、この映画では、そこへはまったく踏み込んでいない。あるいは、イラクという政治的に難しい事情があるため、やむなく踏み込めなかったのかも知れないが。

 『アラビアのローレンス』では、英雄には相応しくない死に方を描くことによって、逆にローレンスと言う偉大な人間像が強く浮上している。これに対し本作は、最後まで「砂漠の女王」、「アラビアの女王」という英雄として描きとおすことによって、逆に英雄としての存在感が消えてしまい、どこにでもある女性が主役の映画になってしまった。優れた作品を多く作り上げた名監督にしては、とても残念だったというのが、私の率直な感想だ。(なお、ヨルダン及びイラクの歴史をさらに勉強させてもらう契機になったことには、大変に感謝している。)

<蛇足>
 私は、政府関係者として海外勤務していたので、ベルのような「無帽な旅行者」対応に苦慮した経験がある。映画の世界では、ベルのような「無謀な旅行者」は、「危険を顧みず、人類のために偉大な冒険を行った英雄」ということになるが、政府関係者にしてみれば、映画の大英帝国官吏や軍人同様に、ベルは「非常に困った人物」でしかない。

 大英帝国とオスマン・トルコ帝国が、まもなく戦端を開く直前という時代状況のなか、オスマン・トルコ帝国の支配権が弱く、また反政府勢力であるベドウィンが支配する地域に、イギリス人女性が単身乗り込むことは、無謀としか見なせないのは当然だろう。もし彼女が、ベドウィンあるいはオスマン・トルコ帝国に拘束され、さらに殺害された場合は、大きな政治問題になる上に、ベル救出あるいはベルの遺体収容という大問題を抱えることになる。もちろん、20世紀初頭と言う時代から、21世紀の現在よりはるかに融通を利かすことができる政治状況だった上に、メディアが現在ほどに発達していなかったから、「自国民の生命の危機を放置するのか!」という政府批判の大合唱となる可能性は低かっただろう。

 しかし、一女性の冒険旅行のために、第一次世界大戦を含む世界規模の大きな歴史が動くということは、政府の立場からすれば黙認することはできない。そして、「何があっても、救出しない」という大英帝国官吏・軍人の発言に対しては、「非人間的」と単純に否定することはできないのだ。数字だけで比較するわけではないが、「一人の冒険よりも大勢の安定が重視される」というのが、政治の基本なのだから。

 なお、さらに余計なことを言えば、21世紀の現在において、ベルのような冒険家は必要だろうかと疑問を持っている。結果的にベルの冒険旅行は、20世紀の歴史に大きな爪痕を残すことになり、それは歴史への貢献と評価することができる。しかし、高度に情報機能が発達した現在に、スパイ的な役割として冒険旅行(あるいは「取材」)する意味合いは、まずないと考える。なぜなら、スパイとしての情報提供者はいくらでも対象がいることが第一の理由だ。次に、インターネットに代表される情報網を探索(スパイ)すれば、かなりの必要な情報が取れる。また、衛星からの映像という大きな情報収集装置がある。

 要するに、現在はスパイというような、アナログな情報収集者の時代ではないのだ。また、「取材」と称して、生命に危険が及ぶ地域へ無謀に入り込むことの成果も、ベルの時代のように得られることはない。一方で、ベルの時代以上に、人質となった場合の政治的な影響は想像以上に肥大していることを指摘したい。

 つまり、今はもう「冒険の時代」ではないのだ。人が単独で冒険できる対象は、宇宙以外には存在しないし、宇宙は単独で渡航できない場所だ。早晩、「冒険」という言葉と概念は死語になるのだろう。

<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、映画評などをまとめたものです。宜しくお願いします。>


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