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<芸術一般>芸術作品の捉え方,創造する契機,そして大きな前頭葉

芸術作品の捉え方

先日,ある教育関係者と複数で酒を飲む機会があったのだが,定年近いその方は,海が近い地方都市に在住されているため,定年後は漁師になりたいと宣言していた。そして,いかにも自信満々に,なぜ漁師になろうと思ったかの理由に,「ヘミングウェイの『老人と海』を読んだからです!」と強調していた。

私は,大学で文学を学び,ヘミングウェイも英文で読んだりして,いちおう少しはヘミングウェイの文学を知っていると自負している。そして,一般にヘミングウェイの「老人と海」は,ちょうど作品が発表された時代背景も相まって,実存主義文学と理解されている。つまりは,現実に存在している一人の人間としての生き様,そしてどうにもならない不条理性を追求した作品ということだ。

こうした一般的な読み方は,「老人と海」の最後の場面で,疲れ果てた老人が自宅のベッドで寝ている姿に対して,「老人はライオンの夢を見ていた」という表現,そして,その姿を黙って見ている友達としての少年の描写で終わることからも説明されている。

そこには,老いと若さ,老いた者のライオンに象徴される強さへの憧れ,そして,そうした夢(理想)と現実(人生)のギャップを,少年が老人の姿から学ぶということを読み取れると思う。

つまり,ヘミングウェイは,この作品をこうした人間として生きることの厳しさを表現しようとしたのであって,将来漁師になりたい人を増やしたいからという理由で創作してはいない。たしかに,ヘミングウェイは釣りが好きだったから,釣りに対する思い入れが沢山表現されているが,それはあくまでも釣りに対してであって,漁師に対する賛美ではない。

だからといって私は,この学生時代に麻雀ばかりやっていて勉強しなかったが,現在は教師をやっていますと豪語する人の解釈を全否定すべきとは,決して思わない。

なぜなら,優れた文学作品は多種多様な読み取り方をされるべきであり,また多種多様な読み取り方ができるものが,同時に優れた文学作品と思うからだ。

しかし,そうは言っても,「あなたの作品を読んで,漁師になろうと思いました!」と自信満々に言われたら,ヘミングウェイは苦笑するしかないとつくづく思う。


創造する契機

かのミケランジェロは,大理石を前にして,自分が創作するべき彫像の姿が見えていたという。そして,石の中に厳然と見えているその彫像の輪郭に沿って,ただ石を削れば作品が完成した。そこには,悩みながら,考えながら,試行錯誤しながら,大理石を削ることはなく,ただ目の前にあるイメージに従って,ノミを振るうだけだったから,そこに迷いはまったくなかっただろう。

音楽家のモーツァルトも,自分が作曲すべき作品の音符が,一瞬にして目の前に見えている(聞こえている)ので,作曲の際に試行錯誤などはなく,また集中する必要性もなかったから,他人と会話しながら作曲していたという。

ところで,この私は文章(小説)を書くのが好きだが,ある作品(文章,小説)を書くときには,その全体の構成や結末までの展開が,頭の中にイメージとして浮かんでくる。昔は,紙(原稿用紙やノート)に向かうときは,そのイメージを文字化していたし,現在はパソコンのキーボードに向かって,ひたすらそのイメージを文字化するようにしている。だから,紙に書くときは,頭の中のイメージをすぐに文字化するため,いつも乱筆・悪筆になっていたし,パソコンにおいてもキーボードの打ち間違いが非常に多くなる。それでも,頭の中のイメージにまったく追いついていない。困ったもんだ。

ただし,実際に文字化した後,推敲や校正をする課程で,言語表現や構成を修正することはある。つまり,頭の中のイメージと文字化した際にそこから浮かんでくるイメージとのギャップを修正する作業だ。そして,何よりも重要なのは,頭の中のイメージは言語ではないということだ。それは,一種の映像としてイメージされている。私にとって,文字化・言語化する作業は,そうした映像を文字化・言語化する作業となる。頭の中に見えているイメージを,必死に描写していくのだ。だから,修正する作業も,文字化・言語化した後にその文字を読んで浮かんでくるイメージと,元々頭の中にあったイメージとの差異を埋める作業となっている。


前頭葉の大きさ

鮮明な写真が残っている20世紀以降の芸術家を見ると,前頭葉が大きく,額が浮き出ているように見える人が多い。映画作家のセルゲイ・エイゼンシュタイン,芸術家のパブロ・ピカソ,映像作家のスタンリー・キューブリック(実際にIQが高く,チェスの名手だった),映画監督兼俳優のオーソン・ウェルズ,俳優のパトリック・マクグーハン,同じく俳優のジャック・ニコルソンがそうだ。

そして,ずっと古代に遡れば,七福神の寿老人や福禄寿も,前頭葉が異様に発達した姿で描かれる。そして,そこに長髯も付け加わる。

私は,還暦を過ぎて,頭髪がなくなってきたためか,額が浮き出ているように見えてきた。妻に確認したところ,「そうねえ,禿げた分強調されたようだから,もしかしたら頭がいいんじゃないの?」と言っていた。そして,顎髭を伸ばしている。これも加齢により,髭自体が白くなっているので,まるで寿老人や福禄寿のようなイメージになっていて,自分でも少しばかり喜んでいる。

でも,毎日のビールやワインが影響しているのか,どうも頭が良いとは思えない仕事ぶりになっている,寿老人や福禄寿というよりは酒仙人がせいぜいのところ,というのが話のオチでした。

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