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<小説・物語>シンドバード8回目の航海(後編)

4.シンドバード、日本でシーボルトに会う

 1004夜目となり、シエラザードは大王に話の続きをしました。

 長崎にシナ(中国)から来た一人の船員として上陸したシンドバードは、当時日本が鎖国していた関係から、長崎の出島というところに留まることになりました。出島は船が上陸した後の商売や生活に必要なことはひととおり揃ってはいましたが、なにしろ貿易のために作った人工の島なので、かなり狭いところでした。そして、自分を含めた外国人が世界中から集まっていますが、日本人の姿はあまり見かけませんでした。

 このことは、シンドバードの好奇心を満足させてくれませんでした。シンドバードは、「日本と日本人をもっと見たい、できれば、日本人の生活を見てみたいものだ」と強く願いながら、出島の中をいつものように散歩していました。

 そんなことを考えていたとき、オランダ人のシーボルトという学者と出会いました。シーボルトは、その学問の知識の豊富さで日本の役人から信頼されていて、出島の外を自由に歩くことができました。ある日シーボルトから、出島の外の様子を聞いたシンドバードは、ますます日本人の生活を見てみたいと熱望するようになったのでした。そして、ある時シーボルトにシンドバードは、このことを相談しました。

 シーボルトは、「お前は自分と同じ白人だから、きっと日本人には同じように見えるはずだ。だから、自分の部下であるオランダ人として出島の外に出してやろう。ただし、いつも私と一緒にいることが大事だ」と、シンドバードに提案してきました。シンドバードはこの提案にとても喜び、はるばると持ってきた100ディナール金貨をシーボルトに渡して、是非そうして欲しいと依頼したのでした。

 シーボルトは、それまでシナ(中国)風の服装をしていたシンドバードに、自分のオランダ風の服を着せて、出島の外に出ました。厳しいことで有名な江戸幕府の管理事務所の役人たちは、シーボルトと一緒の「オランダ人」であるシンドバードに対しては、何も詮索することはありませんでした。なによりも、シーボルトが江戸幕府からの許可証と招待状を持参していることが、大きくものを言ったのでした。

 そしてシンドバードは、江戸に向かいました。長崎から江戸までは船を使えたのでしたが、シーボルトは日本のことを研究しているため、わざわざ陸を歩いて移動したのでした。シンドバードも日本のことを知りたかったので、これは好都合でした。シーボルトに付き従って、海沿いの長い道を、毎日、毎日てくてくと歩き、日が暮れると近くの宿屋に泊まりました。

 また、道沿いにあるいろいろな日本の風物を見物しました。シンドバードには、これまで見たことも聞いたこともないとても新鮮なものが沢山ありました。そうして歩き続けて30日ほど経ったときです。シーボルトとシンドバードは、将軍の住む江戸城に入る手前の品川にある立派な宿屋に泊まりました。

 これまで旅してきた日本の宿屋では、シンドバードはシーボルトに倣って、日本のワインを沢山飲みました。日本のワインは、ペルシャやインドのものとは違って、透明で水のようですが、甘く、香りも良いので、シンドバードは好きになっていました。また、宿屋で寝ていると着物を着た日本人の女が、勝手に自分の傍に来ることが多くありました。

 はじめは戸惑いましたが、シンドバードはこれが日本の習慣なのだと思い、そうした女性たちと愛の喜びを持ちました。そういうわけで、ここ品川に泊まったときも、シンドバードは、これまでと同じように日本のワインを沢山飲み、寝るときは女性が来るものと思っていました。

 ところが、なぜか女性は来ませんでした。しばらくして不安になったシンドバードは、シーボルトの寝ているところを覗いてみました。そこにはシーボルトと日本の女性が一緒に寝ているのを見ました。「なぜ、私のところだけ来ないのだろう?」と不思議に思ったシンドバードは、そのままふらふらと宿屋の出口近くに歩いていったのでした。

 外は良い月夜の晩で、月明かりが煌々と道を照らしていました。もう夜もだいぶ更けているため、通る人は誰もいません。遠くで犬が吠えている声が聞こえました。すると、突然シンドバードの目の前に、がっしりとした身体つきで粗末な衣服を着た二人の日本人がやってきました。そして、シンドバードに向かって「ここにお乗りくだせえ」といいながら、木で作った小さな箱を示しました。シンドバードが箱の中を見ると、人一人が座るようになっていました。

 シンドバードは、事情がよくわかりませんでしたが、「どうせ冒険の旅だから」と言いながら、躊躇なく駕籠の中へ入りました。二人の日本人は、シンドバードが駕籠に乗ったのを確かめると、駕籠の簾をおろして、「えっさ、ほいさ」と奇妙な掛け声を出しながら、駕籠をかついで走り出しました。しばらくすると、品川沖の空が、少しずつ白みかけてきました。

 品川沖の朝焼けを眺めながらシンドバードは、「私はこれからどこへ行くのだろう、しかし、何も聞いていないが、おそらくはこれから長崎に向かう船に乗るのだろう。もしかすると、私がペルシャから来た人間だということが、江戸幕府に知られてしまったのかも知れない。そのため、心配したシーボルトがとりあえず出島のオランダ商館に戻そうとしたのだろう」と考えていました。

 そうして、駕籠の外をふと見ると、そこには品川沖の海が見えました。また、朝早くから仕事を始めている人たちの姿が見えました。こうした江戸の町の風景は、シンドバードにはとても大切なものに思えてきたのでした。

「ああ、もうこの風景ともお別れか。これまでいろいろな面白いものを見させてもらったな。その中で一番びっくりしたのは、箱根で入った自然のハンマーム(浴場)だった。なんでも日本ではオンセン(温泉)というそうだが、あれは気持ち良かった。思わず天国にいる気分になった。

 それからフジヤマ(富士山)も見事だった。たぶんあの山の雪を被った頂上には、魔物が住んでいるのだろう。日本の魔物には幸いに出会わずに済んでいるが、ペルシャとは違うのだろうか。そういえば、シーボルトも魔物については何も知らなかったようだ」とつらつらシンドバードは考えていました。そのうち、駕籠は止まりました。

 シエラザードがここまで話すと、夜明けが近いことを知り、話すのを止めました。

5.シンドバード、江戸から出航する

 1005夜になり、シエラザードは大王様のために、また話を続けました

 シンドバードは駕籠から下りました。気づいたときにはもう、さっきまで駕籠をかついでいた二人の姿は消えていました。シンドバードは明るくなった周囲を見回すと、すぐ近くに外国船らしい大きな船がありました。「きっとあれに違いない」と言いながら、シンドバードはその外国船に近づきました。

 普通ならシンドバードのような見慣れない者が船に近づいたら、誰か誰何する者がいるはずですが、そこには誰もいませんでした。しかし、桟橋から船に渡る階段がしっかりと付けられており、シンドバードに「ここを昇って船に入れ」と言っているようでした。そして、シンドバードはその通りにしました。

 船の中に入ってみると、シンドバードが昇ってきた階段はブォンと音を立てて、船の中にしまわれてしまいました。シンドバードはもう江戸の町に戻る気持ちはなかったので、心配はしませんでした。しかし、その後すぐに船が全速力で出港したときには、少しばかり驚いてしまいました。「どこへ向かうのだろう?」とシンドバードは思いました。そして、船の中を探索してみることにしました。なぜなら、船の中には人の気配が全くなかったからです。

 シンドバードが船の中を歩いていくと、食堂らしいところに出ました。そこで少し休もうと思ってテーブルに座ったところ、目の前にワインが入ったガラスの透明な壺とグラスが置かれていました。これを見たシンドバードは、「たぶんこの船は、ペルシャやフランク(ヨーロッパ)から来たものだろう。中国や日本のものなら、こんなワインをテーブルに置いておくはずがない」と思いました。

 そして、ちょうど喉が渇いてもいたので、そのワインをグラスに注いで飲みました。なかなか上等なワインで、ペルシャで飲むものよりも味が良い気がしました。そして、あまりにも味が良いため、シンドバードは何杯も続けて飲んでしまいました。そのため、これから船の中を探索しようという目的はとうに忘れてしまい、今はただワインを飲んだのでした。

 そうして何杯目かのワインを飲んだとき、シンドバードは我慢できないくらいの眠気に襲われました。そして、「眠くなったな・・・」と思っているうちに、もう椅子の上で寝ていました。船は、既に江戸湾を出港しているようでした。波が静かに船を揺らしています。

 それからどのくらい経ったのでしょうか。シンドバードが目を覚ましたときは、すでに長い時間が経っているように感じました。しかし、船の中や窓から見える外の様子はあまり変わっていないように見えます。シンドバードは、とりあえず船の中の探索を続けることにしました。

 食堂のすぐそばには、台所があり、またその隣にはたくさんの食べ物がしまってある部屋がありました。さらに船内の下の方に降りていくと、そこには船員用のベッドがありました。シンドバードは、次の夜が来たら、ここで寝れば良いかと考えて、そこを通り過ぎました。

 そして、今度は甲盤に出てみようと思い、シンドバードは上に昇る梯子に手をかけました。するとその時です、さっきまで静かに波に揺れていた船は、突然激しく揺れ動きました。シンドバードは梯子につかまっていることもできず、思わず下の床に飛び降りました。そして、そこで身体をまるめながら、近くにあった柱の一つにしがみつきました。

 船は、なおも激しく揺れています。そして、15分程経ったころでしょうか、船は突然揺れを止めました。揺れが止まると、今度は波に揺られていることもなく、ただ何か宙に浮いているような感じがしました。

 シンドバードは、近くにあった窓から外を見ました。そこに見えるのは、真っ暗な闇の世界でした。そして、遠くに星の光が沢山見えます。まるで、天国の中を船が漂っているようにシンドバードは思いました。「たぶん、私は死んだのに違いない。なぜならここは私の知っているような世界ではないし、また、魔物たちの住処でもなさそうだ。なによりも私の他に生き物はまったくいないのだから、ほんとうに不思議だ」とつぶやいた後、シンドバードは、さらに自分に言い聞かせるように言葉を発しました。「ここは天国かも知れないが、もしかするともっと違う、私の知らない世界なのかも知れない」。

 すると、船の遠いところから明るく優しい声がしました。
「そのとおりですよ、シンドバード。あなたは空飛ぶ船の中にいるのです。そして、今あなたがいるところは、神様しか知らない場所ですが、天国ではありません」
 シンドバードは、その声に対して、思わず問いかけました。
「神様しか知らない場所だけど、天国じゃない場所なんてあるのですか?」
「あります。ここは神の言葉でコスモス(宇宙)と言います。そして、あなた方人間は地上にあるようには生きられません。もしこの船の外に出たら、シンドバード、あなたはすぐに息が詰まって死んでしまうでしょう。ですから、決して外に出ようとしてはいけません」

 シンドバードは、さらに質問を続けた。
「わかりました。仰せのとおりにいたします。しかし、私は一体どこへ向かっているのですか?」
「シンドバード、あなたが向かっている先は、別の星です。そこでは、あなたがいたところと同じように暮らせます」
 シンドバードは、ほっとしたように答えた。
「よかったです。私は死ぬのかと思っていました。・・・ところで、そこへ着くまでにはどのくらいかかりますか?そして、私のような人はいますか?」
 シンドバードがそう問いかけると、船の声の主は、しばらく黙っていたが、やがて毅然としてまた話しかけてきた。

「時間は、あなた方の単位ではかることはできないくらい長いものです。ですから、この船でしばらく暮らしてもらうことになります。しかし、シンドバード、あなたが年を重ねてさらに老人になることはありません。どのくらい多くの時間が経っても、今のあなたの姿のままでいます」
 シンドバードは、思わず笑顔になりましたが、船の声の主はその姿を見ていたのでしょうか、すぐに説明を続けました。

「そして、目指す星に着いたとき、私があなたに知らせるので、この船から出ることになります。きっと、天国のように美しく、そして楽しい場所だと思うことでしょう」
 シンドバードは、さらに笑顔を大きくして、船の声に聞いた。
「その場所には、人や生き物はいますか?」

 すると船の声の主は、「います、・・・」と言った後、突然声が聞こえなくなってしまった。シンドバードが何回も「何かいるのですか?もしかしたら魔物ですか?」と問い続けましたが、船の声は、ずっと黙ったままでした。そのためシンドバードは、船の声に従って、船の中での生活を何年も何年も続けだのでした。

 ここまでシエラザードが話した時、夜が明けてきたので、話をするのを止めました。

6.シンドバード、遠い世界から手紙を出す

 1006夜になり、シエラザードは「大王様、これでお話は終わりになります」と言いながら、物語の最後を語るのでした。

 船が長い、長い時間をかけて行った先の暗い世界には、シンドバードが乗っているよりも、もっと巨大な船がありました。その巨大な船にシンドバードの乗った船は、まるで巨大な魚が小魚を呑みこむようにして吸い込まれていきました。

 ところで、シンドバードの船がこの巨大な船に飲み込まれる前に、シンドバードは長い時間があったため、バクダードにいる家族に宛てた手紙を書いていました。そして、この手紙をなんとしても、家族に届けたいと願いました。シンドバードは、自分の乗っていた船からこの巨大な船の中へ入った後のことですが、これまで乗ってきた船で願いごとをする方法をもうわかっていたので、誰もいない部屋のなかに向けて、こう叫びました。

「ひとつお願いがあります。この手紙を私のバグダードにいる家族に届けたいのです」
 このシンドバードの声が終わるとすぐに、その部屋の外から女の人の優しい声が聞こえてきました。まるで、天女の声のようにシンドバードには聞こえました。
「シンドバードよ、それは良い心がけです。お前の最後の冒険がどうなったか、きっと故郷の人たちは知りたがっていることでしょう」
「しかし、もう知らせることはできません。なぜなら、お前がここに向かってくる時間はとても長いため、故郷にいる家族は皆死んでいるからです」

 この言葉を聞いたシンドバードは、突然大きな悲しみに襲われて、あたりかまわず号泣した。そして、自分が最後にした冒険の代償をしみじみと噛みしめていた。シンドバードはまた、部屋の外に向かった叫んだ。
「ええ、それでもけっこうです。たぶん、私の子や孫や、またその子や孫たちが今でもバクダードに住んでいることでしょう。そして、そのものたちに私の手紙を届けたいのです」
 シンドバードの願いを聞いた部屋の外からの優しい声は、「そうですか、ではそうしてあげましょう。お前の手紙とやらを目の前のテーブルに置きなさい」と命令しました。

 シンドバードが二つに折りたたんだ手紙を、テーブルの上にそっと置くと、その手紙は一瞬で消えてしまいました。すると、部屋の外からの声がシンドバードに「窓の外を見なさい」といいました。
 シンドバードが窓の外を見ると、この巨大な船からバクダードのある辺りに向けて、筒状のものが火を噴きながら進んでいくのが見えました。シンドバードは、こうしてバクダードにいる未来の家族の誰かが、この筒を見つけてくれることを願いました。

 シエラザードは、ここまで話すとシャハリヤール王に尋ねました。
「大王様、ここまでがこれまであったシンドバードの物語です。しかし、私はこの物語の未来のことも知っております。よろしければ、それをお話しいたします」
 するとシャハリヤール王は、「おうおう、シエラザードよ、是非それを聞きたいものじゃ」と答えたので、シエラザードは、このように話しました。

 シンドバードが、天国のような遠い世界から筒に入れた手紙を出してから、一千年近く経ったころでございます。バグダードの都は栄枯盛衰の時が流れ、シンドバードの生きた時代のものは、皆壊れ、崩れ、破片になって土の下深くに埋もれてしまいました。その場所を、ある学者が掘り返したところ、落書きのようなものが見つかったそうです。これは、非常に珍しいものとして、バクダードから世界中に知れ渡ることになりました。

 ところで、その手紙には何が書いてあったのでしょう。一千年後の学者が解読したところ、こう書いてあったそうです。
「私のように冒険の旅に出なさい、そしてこちらに早くおいで。シンドバード」

 こうして1006番目の夜は明けていきました。シエラザードが物語った長い、長い物語はこうして真の終わりを迎えたのでした。

7.シエラザード姫とシャハリヤール王

 ところが、シャハリヤール王は、1007夜になったとき、シエラザードにこう問いかけました。
「シエラザードよ、これまでこの世ものとは思えない様々な話を聞かせてくれて、誠に感謝する。そして、そちはこうしてわしの姫になった。これから毎晩、そちと夜をともにすることになろう。それは、わしかそちのどちらかが、天国にみまかるまで続くものだ」

 シエラザードは、「はいそのとおりでございます。大王様」と答えて、シャハリヤール王の足元の床に口づけしました。すると、シャハリヤール王は、嬉しそうな顔をしながら、シエラザードに話しかけました。
「シエラザードよ、そちの話は1006夜で終わってしまった。最後のシンドバードの話も大変に面白かった。この他の話があれば、もっとわしは聞きたいのじゃ」とシャハリヤール王が問いかけますと、シエラザードは、「わたしからお話する物語は、もうこれ以上ありません」と悲しげな顔で答えたのでした。
 すると、シャハリヤール王はとても悲しそうな顔になり、さらに悲しみのあまり、自らの服を引きちぎり、髪や髭をむしりとって、「ああー、シエラザードよ」と言いながら、気を失ってしまいました。

 その姿を見たシエラザードは、シャハリヤール王がとても愛おしくなり、また可哀そうに思いました。そして、シャハリヤール王にバラ水を振りかけたところ、意識を取り戻したので、こう話しかけました。
「大王様。さきほどお話ししたとおり、私から申し上げる物語はもうございません。しかし、次の物語はこれから作られていきます。それは、私と大王様が作る物語です」

「大王様、是非これから私と一緒に世界を旅していただけませんか。そうして、様々な面白くも不思議な経験をしようではありませんか。そして、そうした不思議なことを、私たちの吾子に語り伝えるのです」
「吾子たちは、私たちの物語を記録し、末永く語り伝えることでしょう。そして、その物語は、今まで私がお話しした1006夜の物語の続きとなるのです」

「そうです、大王様。1007夜からの物語の主人公は、大王様と私になるのです」
「大王様は、もうお話を聞くだけの大王様ではありません。物語を御自ら作る歴史の主人公になるのです」

 ここまでシエラザードが話すのを聞いたシャハリヤール王は、両の目から大粒の涙を流しながら、「シエラザードよ、そちはわしにとって、本当に最上の宝よの」と言いながら、傍にいた白人奴隷(マムルーク)に対して、「即刻、わしと姫が遠くへ旅立つための支度をせよ!」と命じました。白人奴隷は、シャハリヤール王の言葉を聞くと「御意に従い、諸事全般整えます!」と言って、宮殿の外へ出ていきました。


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