昔話その1
昔話その1
いやー思ったより自粛長引いてますね。。
困ったもんです。。
ということもあり時間あるので昔の話でもダラダラ書いてみようかと。
一応「その1」としましたが、その2があるのかは分かりませんw
特にオチもないので暇な方だけお付き合いください。
皆さん動画配信しまくってますね。
僕は動画編集のスキルが無いに等しいのでやってないのですが、
音だけSNSに貼ったりしてみたり。。
こういう配信や自宅録音が一般的になったのも
全ては機材の価格が安くなったからですね。
あとパソコンの性能が昔とは全然違う!
宅録→納品という流れも増えました。
誰とも会うことなくいつの間にかCDが売ってる!
ということも珍しくなくなりました。
スケジュールの確保、スタジオやエンジニアの人件費、
自分で好きなだけリトライ、編集できるなどメリットは
計り知れないのですが、
スタジオに行って、
「ストリングのみんな来てるからすぐ終わらせて!」
と言われて緊張の中で録音するワンテイク目の完成度、
みんなとセーノォ!で録った時の一体感など、
そこでなければ録れない音、経験値、などなど、、
宅録では得られ無いものがあります。
結果それは音質や演奏に結びついてきます。
大切なのはそれらの方法と上手く付き合っていくことなのかなと
思います。
という前置きがあって、、
僕は小学1年の時からパソコン少年だったので、
そのまま機材オタクになってしまいました。
PC-8801でBASICマガジン読みながらゲーム作ってたなー♪
5インチのフロッピーが懐かしい!
その機材オタク少年が音楽と出会い、音楽方面にもその影響が出るわけです。
中学生の頃はカセットMTRが流行っていてピンポン録音(!)でいろんなことして
遊んでました。ちゃんと録れば音はそんなに悪くなかったと記憶してます。
当然高校は電子工学の道へ。
そこでシンセオタクの先輩と出会ってしまったので、
ますます拍車がかかることに。
MDデータディスクというものが当時出てきまして、それのMTRで
録音しまくったものです。これはピンポンが必要なくて効率がよかった!
EWI始めてスクエアのコピーやったり、学生バンドを楽しんでいました。
そのまま大学もシステム工学の道へ。。。
ここで音響同好会みたいなものに入ったのですが、
(あらゆる音楽サークルのライブサポートをするクラブ)
この経験が非常に良かった。今でもその知識は役に立っています。
演奏するクラブには入りませんでしたw
卒業してサックスを始めるわけですが、録音の最初の仕事は
宅録でした。
当時パソコンで個人が録音する時代ではなく、
宅録というものは一般的ではありませんでしたが、
うちにはADAT互換のハードディスクレコーダがあったので
なんとか納品できるかも!ということで始めた仕事でした。
思えばネットもテレホーダイの時間が決まっていたので、
深夜に送ってたなー・・ニッパッパ!(←わかる??)
事務所から今では考えられないほどクオリティの低いMIDIと
原曲のMP3が送られてきて生演奏に差し替えて送るわけですが、、
この頃はまだ世の中の人にMP3というものが浸透している時代ではなく、
それを再生するところから戦いは始まるのです。。
どんな仕事かというと、カラオケの生演奏の作成。
その頃のカラオケはレコンポーザと88で作った打ち込みオケ。
お客さんはまだ電話帳みたいな曲集から番号をリモコンで手打ちして
曲を呼び出すシステムです。
記憶にある方もいるかと思いますが、
その曲集の中にたまーーーに「生演奏」ってタグが付いている
曲があったかと思います。大抵は昭和の有名歌謡曲や流行の最先端の曲。
それ、サックスはほぼ全部僕です(笑)
MP3の原曲を聴いて、タンギングとかビブラートとか細かいところを
盗んでMIDIで起こした譜面(←ほとんど耳コピ)で間奏のソロを吹く。
こんなことを相当な数やりましたね。
まだフラジオのコントロールもままならないレベルなのにw
でもこの時の経験が今の糧となっていることは事実ですね。
音色もオリジナルに近づけなくていけなかったですから。
送ってもちょっと違うとNGとして返ってくるし。。
厳しかった!
音程も今みたいにちょいちょいって直せないし、
パンチインもできたけど、波形編集はできないので
使ってませんでした。
マイクはゴッパーだしw
その後打ち込みのクオリティは上がり、生演奏はなくなり、
その会社は潰れるのですがw
宅録→納品の個人的歴史は深く、今はなんて便利なんだと思うわけで。
その後はやっとMacで録音するようになるのですが、
長くなったのでそれは次の機会に♪
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