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良いと思ったまま撮る。カメラを構えると微妙に思えてしまう現象と外付け光学ファインダーを使う理由

今回は独自の理論ではないので無料で公開しています。


最近石井さんのnoteが人気ですね。

距離感についての話を中心に物事に対する思想が感じられて僕も毎回楽しんで読んでいます。
そこでたまに出てくる外付けの光学ファインダーは僕も愛用しており、
石井さんとは少し違う(だけど根本では繋がっている)理由があります。

撮ろうと思ってカメラを構えると「なんかちゃう」と思って撮るのをやめてしまう現象、ありませんか?

実はそこと繋がっています。

まず「撮るのをやめてしまう現象」から考えていきましょう。

カメラを構えたからには何か理由や感じるものがあったはずです。
しかしカメラを構え、ファインダーを覗く、あるいは背面液晶で構図を作ってみるとイマイチ伝わらない。

それは焦点距離が合わず構図が決まらないからというのもあるかもしれません。画面で見ると光のニュアンスや空気感が全然違って見えるから、なども理由としてあると思います。

ミラーレスだと、カメラを構えたら向き合う対象が目の前のものから液晶になります(一眼レフだとミラー)
そして目の前のものが良くても液晶上で良くなければ撮らない、となってしまいます。

50mmの外付けの光学ファインダーは両眼で見てそのまま枠が浮かんでくるように見えます。
つまり、良いと思ったものをそのまま見続けています
なので良いと思ったまま撮り、その瞬間が写ってます。

僕は基本50mmですが、人といる時は50mmだと狭く感じて35mmのレンズを使います。
なので構図はかなり曖昧です。

それでも外付け光学ファインダーを使うのは好きなのは、好きな瞬間が写ってるからです。
「結局撮ったら微妙なら意味なくない?」と思われるかもしれませんが、
良い瞬間を撮ってるならあとは伝え方の問題です。デジタルならトリミングやレタッチ、あるいは撮る前のレンズの選択でその良いと思った記憶に近づける方法を探せば良いです。

レンジファインダーでもほとんど同じことができます。違うのは両眼で見るのが難しいこと、倍率が100%ではないのでちょっと景色が変わることくらいです。
なので本当は外付けファインダーじゃなくても問題ないのですが、より目の前で起こっていることに集中できるのと、両目で見てそのまま撮るシームレスな体験が自分にとって自然だからです。

液晶やキャプチャーされる画像ではなく良いと感じる心に集中する
という思想が写真にも反映されていると信じています。

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