私にとっての読書
何のために本を読むのか、読みたいから本を読むのか、色々な「読む」があるのが読書。最近は電子書籍も増えてきて、暗いとこでも、スマホでも読めるようになった。紙の手触りがないのは、ちょっと楽しみがなくなったなどと、贅沢なことを最もらしく言ったりする。それでも、物として運ばなくていいのは、助かってるいる。旅行には、軽い本を持って行きたいから。本の質量や手触りが好きだと言えばそうだ。まぁ、それはさておき、読書が好きだ。小さい頃は、武将ものや童話、近代文学など、家に沢山あり読みあさった。特に源義経が好きだった。きっと親が買い与えてくれたのだろうが、その当時は、本棚に当たり前のようにあったのだ。しかし、中学、高校とほとんど本を読まない時間を過ごした。部活やバンド、テレビゲームに熱中していたせいもあると思う。それでも、また本を読む機会がきたのは、気になる子が読書女子だったからという、よくある話だ。読んだ本の話をし、面白かったという本を借りて読んだ。その当時は女の子から借りた本が特別な物だった、意味も無く本の匂いを嗅いだりバカな事をしたのを憶えている。月日が流れて、その不純な動機がなくなっても本を読み続ける事ができるのは、本を好きになり、生活の一部となったからだ。何事にも、転機が存在する。そして、転機には必ず人との出会いがあり、心が動く瞬間があるのだ。今でも人から薦められた本は必ず読むようにしているし、自分では選ばない本を手に取って読むのはとても楽しい。そして、もっと本を読む事が好きになる機会がくることを心待ちにしている。僕にとっての読書は人との繋がりを本の感動と共に運んでくれるものだ。
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