「初めての人生の歩き方」(有原ときみとぼくの日記)第25房:人生の転機は春、咲く
一週間ぐらい寝坊をかまし、もうすでにやる気はゼロ。
有原くんはいら立っていた。それは現在通っている施設の管理者とあまり話が噛み合っていないからだ。
「もう辞めたいから、バイトを紹介してほしい」
「いい飲食店があるよ」
「通うンゴ」
「しばらく施設に籍を置いてからの体験ね」
「ふぁ??」
「バイトだとまた話が違う」
「それだと施設と変わらないじゃん」
もちろん、意地悪ではない。本当に有原くんのことを心配しているのだろう。ただ、やはり信用はないようだ。
君にはバイトはまだ早い。もしなにかあったらどうする。責任は誰が取るんだ。頼むから大人しくしていてくれ。
うるさいなあ。イライラ……。
信じなくてもいいから、人の転機を止めないでほしい。
それならせめてもう少し違う見守り方はないのだろうか。
このままでは彼はなかなか社会に出られない。
よし、面倒くさいから辞めちゃお。
ってなるよね。うん。
ただ紹介してくれた飲食店の店長に彼は興味を持ってしまったのだ。一度絡んでみたい。しかしそのためには施設を辞められない。
どうしよう。
折衷案だ。
まず一、二回そのお店に行く。その間に違うバイトを探す。そして施設とさようさら。
一週間ぐらい退所が伸びるかもしれないけど、それが一番良さそうだ。
――ただ府には落ちていない。
説明不足はお互いの首を締めつける。
人間はいつだってその繰り返し。
相手のことを思っているふりをして、相手にかけている期待を回収しようとしている。それは有原くんだってそうだし、親も友達も恋人も、人間はどこかにエゴイストな部分を持っている。
だから人生は面白い。
☆ ☆ ☆
夕方、緑橋と堺筋本町の間にあるマンションの一室にて。
有原くんを含む四人の男女が向かい合い自己紹介をしていた。
引っ越したばかりのその部屋にはカーテンがなく、外が徐々に薄暗くなっていくのが分かる。春分を越え日は長くなった。少し前だと真っ暗な時間帯なのに、今はまだ明るさが残っている。違和感。時間は確実に進んでいるという感覚と、幼い頃から何回も経験している体感。昔から変わらない現象を目の当たりにしながら、確実に老いている自分を比べてみしまい、彼はいつか確実に訪れる死を予感して悲しくなった。
「ねえ、聞いてる?」
人の話は耳に入るだけでは聞こえない。
ではどこで聞いているのだろうか・
どうでもいい話。
楽しい話。
有意義な話。
未来に繋がる話。
「では、どんなことをテーマにお話ししたいですか?」
ラジオパーソナリティの方はプロだ。
その辺のカウンセリング顔負けの傾聴力を持っている。
いや、当たり前かもしれない。
このパーソナリティの方も、ここに呼んでくれたセミナー講師の方も、実際にプロのカウンセラーだからだ。
「はい、私は育児中に苦労したことがありまして――」
彼女の緊張している横顔が好きだ。血の気の引いた肌からは、とても母親の色が見えない。同時に苦労話を笑顔で語る彼女は、まるで男性より男性的だ。
「ありがとうございます。では、予定決めちゃいましょうか」
とんとん拍子で進む打ち合わせ。
彼女のラジオ出演が決まりました。
有原くんは見学者として成り行きを見守ることに。
縁がない。無理だ。俺たちとは違うからできるんだ。
と、思っていた。
なんだ、なにも違わないじゃないか。
人生、動いたらなにかが変わる。
遅かったかもしれないけど、ようやく気がついた。
動こうかな、のんびりと。
春は動きたくなる。眠りたくなる。なにかやらかしたくなる。
だから桜はこの時期に咲く。