「初めての人生の歩き方」(有原ときみとぼくの日記)第16房:生きるということ、失うということ
ダラけている。文章が間延びしている。原因は分かっている。
テーマが絞れてないからだ。
約1000~1500文字ぐらい。その中に一日の出来事を詰めることは不可能だ。テーマを一つに絞って、それを誰に届けるのか、どうして日記を書いているのか、もう一度考え直す必要があるのかもしれない。
と、有原くんはぼんやりと考えていた。
書きたいことがたくさんある。一日の出来事が多すぎる。どうしよう。一つ一つ丁寧に書きたい。ただそれだと長くなる。長いと時間がかかる。時間がかかるとちょっと面倒くさい。余計にダラけそうだ。
目的はなんだっけ。
最初は記録。次に三人称の練習(すでに破綻)。そして宣伝。
今は違う。
彼女のため。自分のため。誰かのため。
人間は孤独かもしれない。だけれど一人ではない。
☆ ☆ ☆
・二ヵ月ぶりの就労移行支援事業所。一時間の自転車。久しぶりの顔。管理者と相談。「バイトするので辞めます」「分かった。応援するよ」
ありがとう。さきに行くよ。待っているよ。
足がすくむほどの恐怖を抑えて有原くんは決意した。
辞めるのも勇気。進むのも勇気。
まだもう少しだけ、バイトが決まるまでの数週間だけ、お世話になります。
・その施設近くの豚骨ラーメンまじ臭すぎ旨すぎあと何回来れるのかな。
・夕方歯医者へ。「歯がきれいになってきましたね。タバコ辞めてよかったですね」
・その帰りにある人と電話。号泣。この話はまたいつかします。
・その後、親からきたラインで号泣。この話もまたいつか。
・いきつけのドイツバーへ知り合いと。もうすぐ閉まるこのお店は、たくさんの思い出が詰まっている。目の前で笑うマスターのくしゃっとしたがもう見られなくなるなんて、いったい誰が想像できたのだろう。
生きるということは、失うということだ。
・帰宅
☆ ☆ ☆
今日のハイライトはどこにあるのだろうか。有原くんは靴ひもをほどきながら考えた。
――靴。
有原くんはボロボロの靴を手に取って、紐を抜いていく。左から、次に右。
「ねえ、その靴捨てるなら紐くれへん?」
「いいけど、汚いよ?」
「ウタマロで洗うから大丈夫」
「なんに使うの?」
「私の靴に結び直すねん」
有原くんは思い出す。
この靴は、まだ彼が施設にも通っておらず、極度の貧乏だった二年前に買ってもらった靴だった。それもまったく同じブランドの同じ色を二つ。
「初めてのペアルックだね」
彼はその靴をとても大切に履いた。毎日磨いた。汚れたら洗った。とにかく大切に履いて、歩いて、色んなところに行った。
その靴に穴が開いていたのを知ったのはつい先日だった。
「新しいの買い行こうよ」
彼女のその言葉に有原くんは少し悲しくなったけど、確かにもうボロボロで歩きにくかった。
――分かっているけど、どうして永遠はないのだろうか。
ペアで買った彼女の靴は、少し前に誰かにパクられて失っていた。残った有原くんの靴も、もう限界のようだった。
「また一緒のやつ買おうかな」
「せっかくなら違うやつも見てみたら?」
迷った挙句に、ちがう靴を買った。
「最後にもう少しだけ履いてからにするよ」
その日が今日だった。
彼女との思い出が詰まった靴。あんなに真っ白で輝いていたに、今はもうどんなに拭いても汚れがとれない。靴を手に匂いを嗅いでみると、ひっくり返りそうになる。
「よく頑張ったな」
思い出は眩しいほど悲しくなる。
最後に靴を磨く。取れない汚れは思い出の証だ。だから泣きそうになる。その靴ひもを、また彼女が使ってくれるという嬉しさもあいまって、有原くんは玄関にしゃがみ込んでただ泣いた。
「じゃあね。お疲れ様でした。本当にありがとう」
ゴミ箱のふたが閉まる。
その音が部屋に響く。
初めての人生は失ってばかりのような気がする。大丈夫。気のせいだ。だって目の前には新しく靴あるじゃないか。
また歩ける。まだまだ進める。
失ってなんかいない。目に見えないものを獲得しているんだ。
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