小説「迂直ノ計」
「ねえ、もしも明日地球が滅びるとしたら、最後に何が食べたい?」
と妻が出かけの私に聞いてきた。あまりに急だったので、私は一瞬キョトンとしたが、時間もないので靴を履きながら、「んー、色々食べたいけど、やっぱり日本人らしく、ご飯と味噌汁かな。それと、……お前の作った肉じゃが、かな」と照れながら答え、そのまま会社に向かった。
バタン、と閉まった扉の音に重なって、「あらそう、安上がりね」と妻が言った気がしたが、多分私の気のせいだろう。
つい先日、胃潰瘍と医師に言われた。症状が軽かったので痛みはもう無いのだが、やはりまだシコリがあるのか胃が重い。仕事、人間関係、そして妻とのすれ違い……、原因はストレスだった。
昔はよくケンカもしたが、最近はまともな会話すらなかった。だから、今朝の会話が、なんだか昔に戻ったかのようで、私は嬉しかった。昔はよく、朝までそんな話をしたものだ。
きっと、私達は同じような事を思っていたのだろう。
私の病気が功を奏したのか、家に帰ると期待通りに妻が料理を作ってくれていた。久しぶりにインスタントではない味噌汁と肉じゃがを食べた。懐かしかった。そういえば、初めての手料理も肉じゃがだった事をふと思い出した。豪華絢爛ではないにしろ、その料理は私の心身を十分に癒してくれた。それと同時に、夫婦の傷も癒すかのように、自然と会話が弾んだ。
その夜、私達は本当に久しぶりに、同じベッドで眠りについた。
次の日も、家に帰ると肉じゃがの匂いがしてきた。私はごく自然に、「ただいま」と言った。「お帰りなさい」と、妻の声が聞こえた。
そして次の日も、そのまた次の日も肉じゃがが出てきた。それが一週間、二週間続いた。初めは私も嬉しかったが、もういい加減うんざりしていた。そしてこの頃、妙な違和感も感じていた。それは妻が優しすぎる事だった。そう言えば、笑顔もどことなく作っているような気もする。うっすらと気丈だての汗が見える。――もしかして、と頭の片隅にあったうっすらな不安が私を眠れなくした。
ベッドの中で、妻の言葉を思い返した。
「もしも明日、地球が滅びるなら、何が食べたい?」
不安は恐怖に変っていった。
もしかしたら、私は実は癌で、もうあまり永くないのでは? そう言えば、私が病院から帰った日に、妻が誰かと電話をしていた。私と目が合ってすぐに電話を切ったのだが、暗い顔だったのを覚えている。
恐怖が、ゆっくりと確信に変わっていった。
次の日、私は病院に駆け込んだが、医師からは異常なしと言われただけだった。医師の目が、どこか遠くを見ていた気がした。
確信は、絶望を静かに招いた。
帰宅すると、またあの匂いがしてきた。「お帰りなさい」と言う妻の態度もそわそわしているかのように見える。心なしか、胃も痛い気がする。私は酒を飲んだ。普段は全く飲まないものだから、妻も悟ったかのように、伏し目で食事をしている。
長い沈黙の中、私は口を開いた。手が汗ばんでいる。震えている。目の前の恐怖が、雪崩のように襲ってくる。声が出ない。それを見た妻が、先に声を出した。
「……あなた、実は、ずっと隠していたことがあるの」
覚悟はしていたが、雪崩にのみ込まれ、私は息が出来なくなった。――まさか私に限って、なぜ私なんだ? 嫌だ。怖い。死にたくない!
「…実は、……実は私、浮気してたの!」
――ほら来た! もう駄目だ。一巻の終わりだ。遺書を、ってあれ? 浮気? ウワキ、うわき……。
「あのさ、癌じゃないの?」
妻は泣きながら謝っている。私も雪崩が急激に溶けたのか、何かが決壊して泣きまくった。生きられる事の安心感の為か、妻の浮気なんて些細な事は本当にどうでも良かった。むしろ浮気程度で良かったとさえ思った。
私達は二人してわんわん泣いた。私はもう希望の海の中、安心の空の中ただ泣いた。
「いいんだよ、浮気なんて。正直に言ってくれてありがとう。私だって、最近は仕事ばっかりで何もしてやれなかった。すまなかった。これからは、また一緒に生きて行こう!」
一瞬、泣いている妻の顔がニヤリとした気がしたが、涙で滲んだ視界のせいだと思い、私達は夜更けまで泣き明かした。
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※2014年頃の作品です。
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