小説「免許」
久しぶりに家族そろって夕食をとっていた。私はうどん風なにか、嫁は蕎麦もどき、娘はなんちゃってスパゲティ、息子は焼きそばっぽい物、末の子はクローンラーメン、犬はスナックステーキに猫はインスタント刺身。みんな思い思いのイメージ像を目から鼻から空気に浮ぶ情報から楽しんでいた。誰の話声も聞こえはしない。しかし、これでいいのだ。声を出す、ということ、音を聞く、ということは、あまりにもエネルギー消費が激しい。そんな過酷な労働を私は全く望んではいなかった。
目と目を見なくても意志疎通が出来るこの時代に、口を開けたり、耳で音を聞きとるなんて一部のプロフェッショナルか、マニアックな科学者しかできやしないだろう。または生まれつきか……。
私が生まれた時に、乳歯が一本見つかったのを両親はとても心配したと後に聞いたが、今ではそれを誇りに思っている。考古学の研究対象として、進化論の解明に一役買ったのだ。そして三十年分の貯金も手に入った。
遠くの恒星が薄青い夜を告げる。
思春期の娘が、上向きで宙をぼんやり見ながら、(私のマイクロチップはもう古い)と訴えてきた。全く、近頃の若い奴はなんでもかんでもすぐに新しいものを欲しがる。金はあるが、教育上我慢をさせる事も必要だ。私が薄眼で嫁の右手あたりを見ながら(お前から、何とか言ってくれ)と伝えるも、ガガ、とか、ジジ、といったノイズしか聞こえてこない。こいつの悪い癖だ。私は、頭の上に流れるいくつかの電子を拾い集めてみた。
(昨夜未明、木星地区エウロパの統帥が引退を表明。これに伴い反政府側は……)
(新型チップ! 今なら交換無料! 更に家族で購入された方には無期限の保障……)
(明日の天気予報です。太陽の日照時間は前年度に増し、二十五分と予測されます……)
全く、最近はいつも同じ事のくりかえしだ。昔はもっと楽しかった。今の若い者たちが可哀想だ、と私が思っていると正面にいる息子がなにやら興味深げに瞼をピクピクさせていた。なんだろうと思い、ひとまず息子の電波に合わせてみた。
(最近静かなブームとなりつつある、自動車運転! これは、はるか昔に流行していた「クルマ」という無機質な箱型の物体に乗り、なんと自らの手足を動かして地面と呼ばれる原子の集合体の上を低速度で前後、つまりは物理的という非常に原始的な手法で動くというものであります。富裕層の間では、エクササイズとしても取り入れられており、先日は火星の十三代目皇后ミドカ氏がご体験なされたとのことです。ミドカ氏は終始ご満悦の様子で、時おり耳を立てるなど笑みをこぼしておられました。さあ、この機会にはるか古代の文明に皆さまも触れてみてはいかがでしょうか? 悠久の時間と莫大な資産をお持ちの方、解脱をされて生きる目的を失った方、家族で黙々と無味無臭を味わっているそこのアナタ! 今ご予約を頂くと……、なんと! 初回特典といたしまして「クルマ」を無料提供させて頂きます! さあ、乗るなら今です! なお、実際のご体験には「免許」という特殊な許可制度がございます。詳しくはこちらまで、――)
気がつくと、家族全員これを聞いていた。息子は興奮を抑えられない感じで激しくノイズをまき散らす。犬と猫がそれに反応したのか、そそくさと四次元に帰って行った。
近隣の流れ星が夜勤に出かけて行ったのが見えた。
あまりに息子がうるさいので、(ウルサイ!)と怒ろうかと思ったら、思春期の娘までもが(クルマ、乗ってみたい)と囁いてきた。私は少し困ってしまって、また嫁の右手あたりを見渡したが、またもガガ、とか、ジジ、といったノイズしか聞こえてこない。全く、呆れたものだ。
私はなんとしてこの「クルマ」というものの実態を伝えようかと迷った。実際に、これで莫大な負債を負った者や、責任や過失、自らの命、そして家族を失ったものを私は沢山見てきたのだ。私が若いころにも一度この「クルマブーム」が来たのである。そしてその実態は単なる「免許」という制度で儲けを担っているのだ。保険やら更新やら、色での階級制度。全くただの悪徳商法である。
しかしながら、かく言う私も免許を持っていたのだ。嫁にも秘密である。しかも私は「ゴールド」なのだ。こんな事を家族に知られたら、と思っていた矢先に嫁が私の左手辺りを見ながら(あらアナタ、どうかしたの?急に金色に輝くなんて)とクスっと笑ったもんだから、私は慌ててガガ、とかジジ、とかならしてそそくさと四次元に逃げて行った。
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※2015年頃の作品です。
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