Super funk marketをずっと聴いている
先週.ENDRECHERI.のデジタルアルバムが発売された。
アーティスト名を初めて聴いた方もいらっしゃるかもしれない。引用したツイートに書いているとおり、堂本剛さんがひとりで音楽活動をおこなっているときの名だ。なんどか表記が変わっている。名前の由来は、剛さんが魚を飼うために訪れたお店で出会った古代魚 『エンドリケリー』。これ以降、剛さんのことはケリーと書く。
今月、ボクの誕生日に大阪でケリーがfunk musicについて長々と語って、歌って、みんなでfunkを楽しむミーティングが開催された。funkの歴史からfunkとケリーの出会い、funkの楽しみ方を伝えてくれた。観客席にはネオンカラーで身を纏い自分を表現している人が複数名いた。ボクはその姿を見て、素直に羨ましかった。周りの視線なんか気にせず、ケリーを全身で受け止める姿に心の中で涙を流して感動していた。50代くらいのおじさんが、紫色のアフロを被り、音楽に合わせて踊り狂っている姿は今思い出してもニヤけてしまう。ステージにいるケリー以外のメンバーも癖が強かった。キツキツの水中メガネの上から、メガネを掛けているキーボードのお兄さん。ケリーとの掛け合いにも慣れている様子で、初めてケリーのライブに行ったボクはこれまでの歴史を知らないけど、違和感なく受け入れられた。会場がやさしくケリーを包み込んでいた。
ボクがボクで居られる環境については、学生時代のころからずっと考えているけど、まだ分からない。本当の自分がどれなのかも正直わからない。すべてが自分であるのは事実だけれど、他者から見たボクの印象の大半が「近付くなオーラが出てますね」であることを、学生時代に彼女が教えてくれた。彼女には、ボクのオーラが見えなかったようで、「あの人、人と話したいんだろうな」と真逆の印象だったらしい。どちらの想いもある。独りになりたいときはトコトン独りになりたいし、誰かと居たいときはずっと一緒に居たい。だけど、人生は思い通りにならない。独りになりたいときに誘われ、誰かと一緒に居たいときは誰ともタイミングが合わない。そんなときケリーのfunkを聴いていると、考え過ぎだよ、もっと今を生きなよと言われているような気持ちになる。
Super funk marketには、堂本剛名義で発売された「街」からケリーのバラード曲の数々が計11曲Acoustic Piano Arrangementとして収録されている。これが秀逸だ。さっきまで、funkで解放していたありのままの自分とは真逆のアプローチで言葉が押し寄せてくる。その声はケリーが苦しんだ時間を知っていると、余計に胸を締め付けられるように苦しくなるのだけれど、その声の美しさはケリーがこれまでに届けてくれた声が蘇ってくるような感覚にさせられ勇気付けられる。
どれだけ感謝しても足りない。今日届いたメルマガに書かれていたライブグッズリストの中にふざけた商品名を見つけた。
「なんか入れ 3,000円」
なんも入れる気ないけど買うんやろうな。