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僕はまだ日本語すらよめない(エッセイ)(2022/10/19)

趣味もあって、数学の本をよく読む。

わからない言葉があると、定義を調べる。
定義とは言葉の意味だ。
言葉の意味がわからなければ、
内容はわからない。

定理や公式、言葉遣い、論法、…
個々の言葉だけではなく、
そのつながりや流れも
理解する必要がある。

要は英文を読むときと同じで、
単語と文法がわからないことには
訳すことも理解することもできない。


今日は
ろくに考えずに生きてきたことを
実感させられた。



前述の通り
英語や数学の文章を読むときは
熱心に言葉の意味を調べ
文法や表現方法を理解して
全体を把握しようとする。

馬鹿みたいに丁寧だ。

だが、母国語である日本語ではどうだろうか?

文章を読むときに
いちいち単語の意味を調べたりしない。

知らない単語を見ても
文脈で意味を想像して
全体を理解しようとする。

なんなら漢字の読みすら
調べないこともある。

強制的に内容を理解させられ
アウトプットすることを求められてきた
学生時代と比べて
社会人となった今、
どれだけ成長して
そしてどれだけ衰退してきたのか(笑)

例えば、「断続的」という言葉を
端的に説明しろと求められたとき
辞書的な説明は私にはできない。

断続的だから連続的でないということで

連続とは続いていることで

でも断続的も続いているじゃあないか

途切れているが続いている状態

と、まあ、文字に起こすときは
いくらでも推敲する時間があるので
こんなにすんなりといい表現は見つからない。


他にも、
似た言葉をうまく使い分ける方法を
聞かれても感覚としか答えられない。

母国語に対する意識って
周りもみなそんなものなのかもしれないが、

Alexaに天気予報を聞いて
「断続的に雨です」と
答えられたあと、

ふとこんなことを考えていた。

#エッセイ

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