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自分の進む道とは
こんにちは。
久しぶりに書いていこうと思います。
突然ですが5月15日は私の誕生日で27歳になりました。
自分の中学生の頃から思い描いていた27歳像とは全く異なり、思い描いていた27歳の自分は地元である兵庫で教員として日々を過ごしていたでしょう。
そうなる未来でした。
実際、その未来は確実に見えていました。
でも、27歳になった私は教員を2年で退職し、全く縁もゆかりもなかった沖縄で学童の支援員をしています。
不思議なことに教員を退職し、これからの自分の進路を考えてい最中、友達がいるわけでもなく、また仕事のアテがあったわけではないのに、沖縄が頭に浮かんできました。
それからというもの沖縄の2文字が頭から離れることはなく、また自分の直観を信じるクセがある私は沖縄に移住し、はや1年が経とうとしています。
この1年は生きるために必死でした。
貯金はなく、自分にあるのは相棒のジムニーだけ(笑)
慣れない環境の中、税金の支払いに追われ、追われ、追われ、追われ(笑)
何とか毎日を、1年間を大きな怪我も、病気もなく生きることができました。
それもひとえに沖縄で新しくできた友人や職場の方々の助けがあったからだと思います。
さて、私の沖縄移住生活の話は置いといて、テーマであるこれからの自分の進む道について書いていこうと思います。
結論から言うと
私は沖縄の教育のために、子どものために努力していきます。
元々、私の夢は地元である兵庫で学童、フリースクールなどの教育機関を作ることであり、予定では2~3年で地元に帰る予定でした。
家族や地元の友人にも、もうすぐ帰ると伝えていました。
でも、沖縄で放課後児童クラブの支援員として1年間働く中で
沖縄の教育事情を目の当たりにすると、本当に自分はあと1年で地元に帰るのが正解なのかと思うようになりました。
私はとても頑固な性格です。ポジティブな言い方にすると意志が固いのかもしれません。
だからこそ、自分が生まれ育った兵庫にとても愛着があり、まずは地元の子どものためにという強い思いがありました。
でも、それって真に子どものために生きるという私の信念に沿ったものなのか?それは単なるエゴではないだろうか?
沖縄は出生率が非常に高く、たくさんの子どもがいます。そして、昔ながらのみんなで子どもを育てよう、見守ろうという雰囲気がそこには存在し、私はそんな沖縄がとても好きです。
しかし、その一方で多くの課題も存在しています。
DVや虐待(ネグレクトなど)、性教育、貧困に悩むシングルマザーの存在。
課題を挙げたらキリがないでしょう。
沖縄はみんなで子ども育てようという雰囲気がある一方で、人の力(マンパワー)に頼りがちになっている気がします。
その人の力はとても大事なことですが、一方で古めかしい、時代錯誤のような教育が今も残っている気がします。(実際に保護者から子どもが罰として廊下に立たされたといった話を聞きとても驚きました。)
もっと沖縄は組織として沖縄の教育事情、家庭事情に適した方法を考えていかなければならないと思います。
私は教育や子どもについて真面目に考えることはできますが、いかんせん才能がありません(笑)
それは自分でも痛いほどわかっています。
でも、私は1つだけ才能があります。
それは非常に才能豊かな人に出会うことができるという才能です。
実際、沖縄に移住し、学童で働きながらとても才能豊かな教育者にたくさん会うことができました。
私のこれから進む道は沖縄の子どものために、才能豊かな教育者の方々と尽力することです。
私は何度も言いますが教育の才能はありません。お金も全くありません。
でも、ちょっとした行動力はあると思います。
その行動力と、才能豊かな人に出会える才能を活かし、その人達に助けてもらいながら
自分の道をどんどん進んでいこうと思います。
これからどうなるか分かりません。とても不安です。
でも、その不安も味方にして、子どものために生きるという自分の夢に向かって、楽しもうと思います。
最後に、私の一番好きな好きな格言で終わりたいと思います。
運命に従ってはいけない。
運命とは従わせるものである。
ありがとうございました。