ママの感情コントロール
幼い頃叱られていた小さなことから大きなことまで
全てを覚えているわけではない
けれど叱られて
悲しかった記憶・悔しかった記憶は
大人になった今も残っているものもある
私は何をするにも遅かった
親がよく笑って言う
「みんながお絵描きを完成する頃に
クレヨンをやっと準備するような子だった」と。
それは私も記憶の片隅にある
私は何にしたって周りのお友達よりも遅かった
そして、悔しかったことを覚えている
「早くおもちゃを片付けなさい!」
そう叱られた時
「これが精一杯なのに」
と思った
お片付け中に叱られないかよくビクビクしていた
食事の後のお片付けで
要領の良い弟がササッと食器を下げているから
私も早く母の元へコップを下げようとして慌ててしまい
麦茶をこぼした時には
「何やっているの…」と
ため息まじりに母は言った
頑張って早く下げたかった
褒められたかったのに…という気持ちが
胸いっぱいに広がり
涙がポロポロ出たものだ
人って
辛かったことや悲しかったことの方が
記憶が強烈で忘れられなかったりするという
ひとつ言えるのは
今の私は母を非難したいのではない。
子供の頃、こんなことが悲しかったな
それを伝えられるボキャブラリーと会話力が
小さな私には、なかったな
と、ただただ思う
娘がお水をこぼした時に
どんなに家事が忙しい時間でも
「ありゃ、こぼしちゃったね!」
「お片付けしようとしてくれたんだよね!?」
「ありがとね!」
そう言えるママでいたい
私の心の中で、「今かよ!」と声が出たとしても
それは表に出さない
いくら切羽詰まっていたとしても、
そこは思考や感情と行動を一致させないという選択がしたい
その瞬間はある意味ヨガとは真逆かもしれない
でもその積み重ねで
凪の状態を保てると信じている
娘にとっては
『お手伝いがしたい』という気持ちが芽生えた
その第一歩だったはずなのだから
心からの応援と称賛を
娘に伝えられるママでいたい
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