人生のハイライトは失敗である。失敗の価値はおもしろさである。
最近、実家に帰る機会があり、たまたま妹もタイミングが合い、家族で集合する形になった。
そこではいつも通り、母の昔ばなしが始まる。あの時お兄ちゃんはあーだったこーだったと。これが我が家の恒例行事。
兄である僕は、小さい頃から落ち着きがなく、あっちに行ったりこっちに行ったり、いなくなったと思えば泣き声が聞こえてくる。そしてどっかしら怪我して帰ってくる。
今もまったく変わらないんだから困ったものだ。
一方、そんな姿をずっと後ろで見てきた妹は、必然的に生き方が器用になる。
勝手に先を進んで失敗を踏み倒していってくれるんだから、そうでない方を選べばいい。
僕は妹が怒られている姿を一度も見たことがなかった。
うん、これは妹が器用なのではなく、僕の生き方が下手くそなんだ。
実家に帰る度に、僕の過去の失敗ばなしに花を咲かせてゲラゲラ笑っている母と妹。いつも同じ話なのになぜかいつも爆笑している。
それでふと思う。美談や活躍した話があったっていいじゃないかと。
でも、いざ自分自身で過去を振り返ってみて出てくるのは失敗のことばかりだったりする。
そして、そっちの方がやっぱり自分でもおもしろい。
人生のハイライトは実はしんどかったり、辛かったりした失敗の数々なのかもしれない。
株式会社GOの三浦崇宏さんも「ライフ・イズ・コンテンツ」と言葉にされている。
これを僕は、失敗をおもしろおかしくプラスに解釈することを言っているのだと思っていが、そうではないのかもしれない。
「ライフ・イズ・コンテンツ」と言えるのは人生最後の日のセリフだったりするのかも。
前向きに、失敗しても大丈夫と思えるための言葉ではなくて、振り返った時に、なんだか転んでばっかだったけど最高だったじゃん!!と仲間や家族と笑い合えるための言葉なのかもしれないと思った。
その時に初めて失敗は失敗でなくなる。
オセロの最後のマスに白を置いたときのように、黒と思っていた失敗はぜんんぶひっくりがえる。
失敗はやっぱり最高におもしろい。