誰も知らないという安心感
私の息の抜ける行きつけの場所。例えば近所の公園やお気に入りの喫茶店。そこにはいわゆる支援者と呼ばれる人は居ない。居るのは近所の子供たちや店員さん、常連のお客さん、見知らぬ誰か、この前そういえばあの交差点で見たな、程度の街のひとびと。
一方で、精神に病があったり、身体に障害があったり、社会で生きづらさを感じてしまう人の行きつけの場所には、高確率で支援をする役割の人がいる。いわゆる専門員。その場所は作業所であったり、サロンであったりする。知っている人がそこにいて、決まった時間にそこへゆく。
行きつけの場所で1人の世界に入りたかったり息を抜きたかったりするとき、周りに居るのが自分を知る人だけだと、きっと息がつまってしまうよなとその窮屈さをたまに想像する。私は1人になりたいとき、自分を知らない人がいると正直ほっとする。支援者という肩書きの人がつねに隣にいるのは、きっと、絶対に息苦しい。