他者と生きるということについて
わたしがそこにいたら困る人がたくさんいる。問題が起きる。私がありのままでいることやそのままでいようとするとなにか問題が生じる。集団の場であればあるほどそれは明るみに出る。
生じた問題は責任もって自分自身で全て自身で正しい状態へ、誰かを傷つけずにいられた状態へ、自分が責任もって戻すべきものだと思っていた。
そう思い込んでただ一人で(勝手に)苦しんできた。
集団の場というのは私にとっては常に戦いで、戦闘態勢が当たり前だった。しかし自分が弱いことや弱みを予め伝えておけば周囲が
この人はフォローしなければならない人だ
と思ってくれるのだとわかった。だから周囲に弱さを知っていてほしいと思った。弱さを知っておいてもらうことは大勢が共に活動するその場所で必要なものなのだ。それを頭でしかわかっていなかったことをやっと自分ごととして捉えた。3年かかってやっと捕まえた。自分を1人で抱え込み欠点を誤魔化しかっこつけてきたけれど、それが集団の場では完全なのではないと思えた。
とはいえ、できそうだと思われる雰囲気(できそうってなんだろう)は今の私にはどうすることもできない。
なぜだか、できそう、と思われるしかないできない。だからやっぱり失望させ続けるし、私は期待されて傷つき続けるし、期待させて裏切り続けるし、裏切られ続ける。
だからやっぱり道化になれる人が羨ましい。私は恥を捨てきれない道化にはなれない。それを私はまた勝手に情けないと感じ自己否定モードへ突入する。
助け合うというのがどのような状態なのか、私にはまだまだ具体的なイメージが追いついていない。
現場での経験と乏しい想像力を組み合わせて
助け合うとはというイメージをより豊かにしてゆきたい。