挫折と再出発時代の話
今回は僕がWEBで漫画を発表するに至った理由と発表した感触について書こうと思います。
自分は「まんがをかくねずみ」に描いた通り、コロコロコミックでのデビューを目指し、
作品を投稿、受賞して担当さんがつき、会議に通るネームの打ち合わせをしていました。
その後の流れをざっくり書くと
●思うところあってコロコロにネームを送るのをやめ、
コミックブンブンに投稿を始める
●ブンブンが廃刊
●ほかに送る児童誌もないので少年誌に投稿
●「最強ジャンプ」が創刊したので何作か送ってみるが、
しだいに違和感を感じ投稿をやめる
といったところです。
これを読むと「ネーム送るのやめるなよもったいない」と
思う人が多いでしょうね。
自分でもさんざん「もったいない」と思いながらの決断でした。
これは「自分の実力が足りなかった」という前提で書くのですが、
何度かネームを送るうちかなり手ごたえのあるネームが描けたのですが、
その時の別冊コロコロのコンペを勝ち抜いた=掲載されたのは
すでにコロコロに連載されていた、新人とはいえない方でした。
こういうことはたまにあるのです、ジャンプで連載されていた
にわのまこと先生も別コロに「BANG」というメンコ玩具のホビー漫画を
描かれていたこともありますし。
当時の別コロは非タイアップの読み切り枠が1~2作だったと思います。
隔月誌のその枠に滑り込もうとしてるのが新人ベテラン問わずウジャウジャいるわけです。
僕がよく言われる「今(当時)のマンガ業界の新人枠の少なさ」を痛感したのがこの頃です。
同じ連載どころか掲載経験もない新人と戦って負けるならまだしも、
すでに雑誌のノウハウがわかっている経験者に負ける…
つまり新人は新人の頃から経験者を上回ってる者しかそこから先へ行けないのか…と
愕然としました。
新人の読み切りが単行本になっていたフレッシュジャンプの時代が夢のようです
(僕が生まれる前後の昔の話ですが)
「そんなの当たり前だろ 甘えだ」という人もいるかもしれませんし否定はしません。
しかしその頃に感じた違和感は今も消えていません。
なので当時よりはWEBで実力を見出された人がデビューに恵まれる
2010年代以降の流れは僕は基本的に賛成なのです。
ただWEBに可能性を感じてたのはもう少し後の話なので、
結局「別の雑誌に投稿」という道を選ぶことになります。
当時祖母が危篤状態だったのでデビューを焦っていたとか
そういう他の理由もなくはないのですが
上記の理由がメインです。
正直、今だったらコロコロにネームを出しつつ別雑誌に投稿もするぐらいの
したたかさはあるのですが、当時は考えが固くクソ真面目だったため
背信行為になると思い、その道は選びませんでした。
ちなみに当時は雷句誠先生が小学館のアレコレを
暴露して話題になった時期です、
それが1ミリも関係ないとは言いませんが、僕の担当さんは
ネームの返事も基本的に早いし、アドバイスも的確で優秀だったと思います。
(どちらかというと、僕に柔軟性がなく全部真面目に受け止めてしまい
勝手にダメージを受けていた感じ)
コロコロ編集部の優秀さはいまや小学館で
一番売れてる雑誌になっていることからも
わかると思います(漫画誌というか漫画情報誌ですが)。
すいません 思いのほか長くなったのでいったんここで区切ります
感触はおろかWEB漫画描くところまで行ってませんが…
自分にとって一番悩んだ時期の話なので…。
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