未来について考えることがもたらしてくれるものとは
私はとにかく現在志向だ。留学時代にやった時間志向を探る人類学のワークで、現在志向だということがはっきりした。
現在志向というのは、いまこの瞬間の時間や場所に意識が向いているということ。
同じワークで、ある人は過去のことばかり考えていたし、別の人は未来のことばかり考えていた。そういう人は、それぞれ過去志向の人、未来志向の人と呼ぶ。
そんな現在志向のせいか、未来のことを考えるのが苦手だ。将来計画とか将来予測とか、そういう類のものが諸々できない。
未来なんてどうなるか分からないし、いま考えたって変わるかもしれない。それなら、未来のことなんて考えなくてもいいや、とすら思ったりする。
けれど、そういう考えをしているとどういうことが起こるかというと、あくまで私の場合はだけれど、
「未来は変えられない」と思うようになる。
未来は現在の延長線上でしかなく、もっと言えば現在も過去の延長線上にしかなく、私にそれを変えられる力などない。
なので、いま現在の私がよく生きられればいいじゃん〜、と、ある意味、諦念や無力感といったものを抱くようになる。
そうなると、どうなるかというと、ぶっちゃけ人生がつまらなくなる。
自分にはなにもできない、なにをやってもこの人生や社会は変わらない、ならばなぜ私は存在しているんだ、と自己効力感が皆無になってくる。
実際、私も大学生くらいまでこういう感覚に囚われることが多く、「何のために生きてるんだ〜」とかよく考えてた。
けれど、最近少し考え方が変わってきた。
「何のために生きてるんだ」考えたことある人間にとって、少し努力して未来の時間に思いを馳せるということは、
人生が楽しくなるということに繋がっているかもしれない、と思うようになった。
現在とは異なる未来の存在を考えることは、変わってるかもしれない自分自身を思い描くことであり、未来を変えられるかもしれないという力を自分に与えてくれることである。
その自己効力感こそが、人生の楽しさに繋がっているように思う。
あるかもしれない未来を少し考えることは、今を生きる自分自身の存在を鮮やかにしてくれる。未来のことを考えるのは苦手だけれど、たまにはちょっとだけ、時間をとって未来を想像してみたい。