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本当の親離れとは?

親離れ=自立。
そう考えると、
どんなことが
できる必要があるだろか。

自分で生活できる。つまり、
仕事に就いてお金を稼げる、
家事も自分で全部できる、
人に頼らず自分で決断できる、
とかかな。

じゃあ、
それらが全部できたとしたら
その人は親離れできている、
って言えるだろうか。

一見すると
できてるっしょ、
って思うかもだけど。

ある男性がね、
もういい大人な年齢なんだけどさ、
奥さんにちょっとしたこと
言われるのがすごく
イヤなんだって。

例えば、
あなた、ここ使わないなら
電気消してちょうだいね、
みたいなこと。

あぁ、忘れてたね、
ごめんごめん、
って言えばいいだけなんだけど、
その時めちゃくちゃ
イヤな気持ちになって、
つい顔に出てしまうらしい。
何なら言い訳しちゃったりとか。
いや、それはこうゆう理由でね、
とか。

奥さんからしたら
え、そんなんどーでもよくね?
わかった、でいいじゃん、
みたいな話なんだけど。
理由があったとしても
そんなにイヤな顔する必要ある?
みたいな。

で、これ、
よくよく探ってみると、
その男性は何か言われると
ついついお母さんに
小言を言われたような
気持ちになって反発が
生まれてしまうらしいのね。

つまり、
自分の中で消化できてない
トリガーとして
持ち続けてるから
言われるたびに
反射的に反応しちゃうわけ。

こうゆうものを
持ち続けてるのは、
果たして本当の意味で
親離れできているのか、
って話なんだよねぇ。

親ワークの話とも
通じるところがあると
思うんだけど、
親と仲がいいからとか
もうそのことは忘れたからとか、
気にしてないからとか、
表面的なことじゃないんだよね。

自分の中に存在してる親、
ってことをやらないと
意味がなくて。

同じように、
自活できてるから、
親とは離れてるから、
自分の家庭があるから、
とかゆうのが
親離れしてるとは
言えないと思うんだよね。

で、こうゆうタイプの人
けっこう多いと思う。

そりゃそうだよね、
こんなこと気づかないし、
自分で生活してれば
自立できてるはずって思うしさ。

お母さんの小言なんて
わかりやすい例だけど、
他にも色々あるでしょ?

でも向き合う機会って
なかなかないので、
そのままにしておいて、
人生のあれこれが
うまくいかないとか、
不快な気持ちを抱えたままだとか、
なぜか近しい人を怒らせてしまうとか、
起きてくる。

サラリーもらって生活してると
わかりづらいかもだけど、
いちおう生活できるぐらい
お給料はもらってても、
仕事は楽しくないとか、
お金が足りないとか、
家庭と両立できないとか、
いろいろ起きてくるよね。

自分でビジネスやってたりすれば
明らかに困ったりもする。

さっきの小言が嫌いな
男性の場合も、
そんな些細なことと
思うかもしれないけど、
それで奥さん気分良いわけもなく、
些細なことだからこそ
チリツモになっていくし、
もういいや、って
気持ちが離れてく原因にもなるし、
まぁ少なく見積もっても
それって快適で幸せな状態とは
程遠いわけよね。

で、そうゆう人が、
明らかに自立できてなさそうな、
仕事もしないとか
ずっと実家暮らしみたいな人を見て、
あの人親離れできてないからなぁ、
なんて言ったりするんだけど。

なんか複雑www

もちろんわかりやすい状態の人も
親離れできてないでしょうけど、
本当に親離れするってのは、
自分の中に存在する親と
きちんと折り合いつけること、
ではないかな、と思いますよん。

ちなみに親離れって
しなきゃいけないの?みたいな
話にもなったりしそうだけど。
別に「しなきゃいけない」って
ことはないと思います。

親離れってちょっと寂しさも
伴うような、場合によっては
残酷さも孕むような気もしちゃう
言葉かもしれないけど。

親離れってするのが当たり前で、
自然なことですからね。
むしろしてないのが
不自然なんですよね。

不自然に生きていくのも
悪いわけではないから、
とゆう意味で
「しなきゃいけない」わけではない、
と言いましたけど。

不自然に生きてるってことは
本当の自分が望むことも
不自然にひね曲がるわけで。

そこがひね曲がるってことは
ひね曲がった現実を生きる、
不具合がいっぱい起きる、
ってことだから、
まぁ、オススメではないよね😅

そう考えると、
親離れするにはやっぱり
親ワークとかやってみると
いいんじゃないでしょうかね。

親に対してはもう何も思ってない、
って思ってたとしても、
現在のどこかにそれを
反映していたら、それって
まだ消えてはいないので。

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