言えてないことを言う
前回の続き〜。
ネガティブに偏っている
自分の状態を変えるために
大事なことのひとつは
「言えてないことを言う」。
なぜか。
そもそも論として。
ネガティブに目を向けるのは
必要があってそうしてる。
ってまずは捉えみてほしい。
ほんとはポジティブになりたい
またはネガティブをやめたい
って思っていたとしても、
すぐさま視点はまた
ネガティブになってるでしょ?
んー、なんてゆうのかな、
ポジティブになろうとするのは、
もうネガティブなんてやだ、
もうネガティブはお腹いっぱい
って思うからだよね。
で、イヤならやめればいいのに
やめないわけだから、
そこには何かがあるはず、
って考えた方がいいと思うのよ。
ポジティブ変換するのは
けっこう簡単で、
同じ事象でもポジティブに
捉える工夫をしてみたり、
気分がよくなることしてみたり、
とかいろいろあるじゃない?
だけどさ、その時に、
実を言うとポジティブに
なることを嫌がってる
自分に気付きませんかね?
このままポジティブに
振り切ってしまおうと思えば
できなくもない、だけど
そうゆう選択は最終的に
しないわけですよ。
わかるかな😅
この時の心理って何?
ポジティブになろうと思えば
なれるかもしれないけど、
このままポジティブになんて
なってやるものか、
だって、なってしまったら、
あたぃのこの気持ちは
どうなるんえ?ってゆう
後ろ髪引かれるものが
どこかに根強くあるからじゃない?
そう、この後ろ髪引っ張ってる
その気持ちが昇華するまでは
ずっと引っ張り続けるのよ。
それでまたネガティブに戻る。
じゃあどうしたら昇華できるんだろう?
それには、その気持ちがどこかに
着地する、ってことが必要なんじゃ
なかろうか?
つまり、あなた、まだ
誰かに何か言えてないでしょう?
ってことなのよ。
わかって欲しかったその気持ち、
まだ伝えられてないでしょう?
となれば、その誰かに
伝えたかったその気持ちを
伝えればいいわけなのよね。
でも!
そこにハードルがあるわけで。
なぜ言えないのかな?
理由はいろいろあるとは思うけど、
言ってもわかってもらえない、
ってのがあるんじゃない?
でも多分それは
言えない自分に対する
言い訳ってケースが多い。
なぜなら、
言ってわからないかは
言ってみないとわからないから。
前にも言ってみたけど
わかってもらえなかった、
ってのもあると思うけど。
前回は前回だし、
今回は今回だし、
自分だって
同じ言い方しなければ
いいだけの話。
で、何よりも、
言った後でこんな感情が
自分に湧くだろう、って
予測するとイヤなんだよね。
ホントは自分が
そうゆう振る舞いを相手に
させてるんだけどね、無意識に。
なぜかとゆうと、
その感情こそが自分の中で
解決していないから、
もう一度感じ直す必要がある、
ってこと。
じゃあさ、
その感情は相手に言わない限り
感じ直すことができないだろうか。
もしかすると、
そんな一連の流れを
想像している時点で
実はもう感じているのでは?
だけど、その感情が不快だから
必死に回避したり抑圧したり
見ないようにしたり
しているんじゃない?
感情を感じたら、
感じ切らないとダメなのよ。
だからね、その感情が湧いたら、
不快かもしれないけど
抵抗しないでちゃんと感じる。
悔しい、悲しい、腹が立つ、
叫んだり怒鳴ったり泣いたり
すればいい。
そうやってみて
自分の中で消化できれば
それで終わってよし。
で、ここまでやっても
やっぱり実際伝えた方がいいと
思うなら、それは
言った方がいいでしょう。
結果が同じでも、
わかってもらえなくても、
拒否られても、
言った方がいいよ。
死ぬまで抱えていくつもりなら
言わなくてもいいけどね…。
で、相手に何かを言う時、
最初からイヤな予測を
する必要ってなくて。
最初から戦うつもりで
行く必要もなくて。
聞いてほしい、とか、
相談したい、とか、
そんな感じでいいと思うの。
だけど大事なのは、
上にも下にも行かないこと。
上から相手を責めたり、
下に出て機嫌を伺ったり、
じゃなくて。
わたしはわたしの感じたことを
あなたに伝えます、ってゆう
フラットなスタンスで
行けばいい。
でね、さらに、
そこでもし感情的になったら
どうするか、とか考えるかも
しれないけど。その時は、
感情に任せて言えばいいじゃん。
むしろこうゆう状況の人が
感情的にものを言えるとしたら
それは喜ばしいことなんだよ。
今までそれができなかったんだから。
力づくでも破れない
壁があったんだから。
でね、感情に任せて
ものを言える、そのためには
絶対に欠かせないものが
あるのですよ。
次回に続く〜
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