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人に何かを与えるなら

この話ね、書くかどうか
めっちゃ迷ってんだけど。
なぜならちょっとばかり
炎上案件だからwww

(でも書くんだろ?笑)

むかしむかしあるところに~

ぃぇ、昔ではないですが、
とある夫婦がおりました。

あまり裕福ではなく、
夫は妻に苦労をかけていると
思っていたそうです。

そこで夫は気合を入れて、
自分の事業をめっちゃがんばりました。
それこそ寝食を惜しんで。

そして夫はめでたく成功し、
とてもたくさんお金を
持つことができました。
妻にも裕福な生活を
与えることができました。

そんなある日。
夫は病気になり半身不随に…。
そして夫は妻に尋ねます。

申し訳ないが、
この先、自分の面倒を
見てくれないだろうか。

そしてどうなったか。

妻は離婚を選び、
夫から離れてしまったのでした。

はい、ここまで。

この話聞いてどう思いますぅ~?

夫側の心情を思えば、
もちろん、妻はひどい。

妻のためにと人生の大半を犠牲にして、
結果、裕福な暮らしも与えてきた。
何不自由ない生活をさせてきた。
なのにこの仕打ち。。。

妻はなんて薄情なんだ!
ってのが、一般的かな。
少なくとも道徳の教科書的にはw

フツーに考えれば、そこは、
妻よ、夫に寄り添ってやれよ、
となるわけだけど。

フツーそうなるよね、が、
そうならない、って時には
その狭間にある理由が
一番大事じゃないか。

あたしはね、おそらく
夫のその犠牲は、
夫のためのものでしかなかったのだ、
と思ってしまいました。

妻はそんなこと望んでなかった。
妻が最も望んでいることはむしろ、
夫が突き進んだことの陰で
叶えられなかったのだな、と。

金銭的なことこそが妻のため、
と思い込んだ夫。

夫は妻に苦労をかけているとゆう
罪悪感から逃れたかった。
(多分それ以外にも)

妻は少しずつ不満や不安を募らせたが、
夫の行動を否定する理由もなく。
だってそれはフツーに考えたら
素晴らしいことだからこそ、
否定なんてできないわけで。

結果的に、
相手の希望を叶えてあげていたのは
妻の方だった、とゆうこと。

仕事に必死になるのも構わないが、
それよりも妻の人生に必要だったのは、
心の通う言葉や、スキンシップや、
愛を感じられる言動だったのでは。

それはともすれば、
生きていくために不可欠な
生活を支えるベース以外の
プラスアルファのように
捉えられてしまうかもしれないけど、
むしろ生きていくために必要なのは
そっちだったのではないか。
呼吸すること、水を飲むことと
同じように。

そう考えたら、
自分の人生を犠牲にし続けたのは
妻の方ではないのか?

だから、今まで長いこと
夫にしか埋められない穴を
放置されながらも、
いつか気づいてくれ、と
我慢をしていた上に、
もう抱きしめることすら
ままならなくなった夫に、
そうなるまで気づかなかった夫に、
これ以上用などないと
見切りをつけたのでは?

などど思ってしまったのだよねー!!

もちろん、だからといって
妻に問題がないわけではない。

なんでそんな大事なこと
我慢するんだよ。
言えない、ってのもわかるよ?

でもさ、大袈裟じゃなく、
それって命に関わることじゃん。

そして、なぜ言えないか、
っつったら、
言ってわかる夫では
ないからだよね😅

どっちが悪いとゆう話でもないんだけど、
ってか、どっちも悪いんだけど。
(あえて悪いと言ってみる笑)

でもさ、人間としては
どっちも悪くないじゃん?
夫も妻も、愛があるし、
優しいし、相手を思ってるよね。

となると!
はい、コミュニケーションが
いかに大事か、とゆうことです!
(と、コミュニケーション講師
らしいことを言ってみる笑)

でもね!でもね!
たしかにコミュニケーションは
大事よ?

でももっと大事なことは!
そうゆう人間の奥底にある
心の事情ってもんに対して
理解があるのが当たり前だったら、
ってことなのよ。

本来それを学ぶのが
道徳じゃないんかい!
って…いや、道徳はいいかな、
まぁ、そうゆうことを
当たり前に気づけるような
学びの機会があればいいのにね、
って思うわけよ。
(学ぶ、っつーか…
感性の問題ですけど)

だって世の中で傷ついてる人が
いるのはほとんどこれじゃん!
理解がないからじゃん!

時に人はぁ〜
傷つき〜傷つけ〜
ながら〜♪

そう、傷つくだけじゃなく
傷つけるのもまた然り。

理解ってのは、
わかんないけど尊重します、
とかじゃないよ?
そもそも知らんし気づかんし
気づき方がわかんない、
ってのが問題なのよ。

だから、
本当に優しくありたいとか
思いやりのある人でいようとか
思うんだったら、
マインドを知れ、って
思うわけ。

この話から考えたら、
マインドを知らずして
与えるってことが
いかに危ないか、
って、あたしは思って
しまうんだけどね。

みんなはどう思う?

あ、ちなみにこの話の事情が
本当かどうかは知らないですよw
ただ、当たり前にそうゆう視点が
あってもいいじゃない、って話。

よく聞くのがさ、
男だから女の気持ちはわからない、
女だから男の気持ちはわからない、
人種が違うから、環境が違うから、
文化が違うから、世代が違うから、
わからないのはしょーがない、
ってゆうやつね。

たしかに?わからないのは
しょーがないよ?
でも、わからないから
しょーがないから
わかろうとする一歩も
踏み出さない、ってのは?

どうせわからないんだから、
わかろうとするのは無駄?

どうせわからないんだから
言うだけ無駄?

いつからか
アドラー心理学とか
流行ったりして、
どうにもできないことに
悩まない、とか、
ボーダーを引くことが
大事みたいな価値観が
出回ったけど。

これ、履き違えてる人
多いですからね。

哲学をわかりやすく
書いたもので
とてもありがたいけど、
そもそも哲学ですからね?

とっつきやすいのと
浅いのは別だよ?

と、思います。どーん!

あたしはアドラーも
嫌われる勇気も
いいと思うけど、
巷に広まったニュアンスは
どうにも疑問視してしまう。

これは、
個人主義にまとわりつく
勘違いにもとても似てる。

とりとめなくなってきましたが笑

みんなはこの話どう思いますぅ〜?

ぜひコメントで教えてね。

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