ヒーロー論

俺にとってのヒーローの認識(定義)が世界の理不尽を許せない者になってきてるから、他者の痛み(理不尽)に敏感で無視できない者こそ、ヒーローなんだなと感じる。
バットマンは過去の自身の経験から世界の理不尽を許せず怒る人なのでその意味でヒーローなんだよね。
自分の為ではなく、他者(世界)の為に行動するのもヒーローの定義かな。
利己心ではなく利他心を持ち合わせてるというか。
上条当麻は理想ではないし偶像でもないけど、理不尽に怒るという点ではヒーローなので鎌池和馬先生のヒーロー観とはそこが解釈一致している。
あと人々に理想となる姿を示せるかみたいな……そこらへんはスーパーマンとかが強いかな。
その意味では”アイドル”って理想化された偶像なので、ある種のヒーローの亜種的側面あるのよね。
仮面ライダーとかの東映ヒーローはそこが弱い。円谷はウルトラマンを初めそこが強い。
衛宮士郎(正確には英霊エミヤ)の「正義の味方」は10を救うには1を犠牲にしなければならない、ある意味世界の理不尽を許容する(象徴している)在り方なので、彼を狭義の意味でヒーローとは呼べないのよね。
実際Fate√やUBWでは桜が犠牲になりHFではセイバーが犠牲になるので、そこを許せねぇ認めれられるかってなる(そして救う、救えないまでも努力はする)のが俺の中でのヒーロー。
まあ士郎は努力はしてるとは思う。でも型月世界の現実がそれを許さない。(アーチャーは諦めてるので駄目)



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