小笠原諸島 2021年12月
気まぐれで旅の記録をつけてみることにした。まずは第一弾。
去る2021年の年末年始休暇。2月に引き続き、2度目の小笠原諸島への訪問が叶った。
実は2020年の年末年始もフェリー争奪戦にトライしたがGoToトラベル全盛期だったこともあり惨敗、2月に無理やり連休を作って行ったものの、今回の年末年始は反省を活かして代理店に頼み、無事渡航券をGETした。
前日にPCR検査を受けて陰性を確認してからレッツゴー。
船室も前回より地味にグレードアップ。特2等寝台という、二人一組で半個室になるプライベート空間。しかもテレビ付き。
船は1時間もすれば東京湾を離れ、24時間オフラインの船旅が始まる。ネット依存の若者にはけっこうキツそう。
案外認知度が低いが実は小笠原には飛行場がなく、船で24時間かけるしかアクセス手段がないという最高の秘境なのである。しかも一度行くと船も一緒に停泊するため強制的に5泊6日(うち2日船中泊)以上のステイとなる。
食っちゃ寝してると24時間は案外あっというまで、到着すると島中の宿という宿全てが看板を掲げてお出迎え。徒歩2分だろうが何だろうが、荷物と体を車で宿まで運んでくれる。
ちなみに外資系のキラキラしたホテルなど小笠原にはひとつもなく、ほとんとが趣を感じる民宿やゲストハウス。今回も畳敷きの8畳間+共用の風呂トイレで3泊させていただいた。
昼の11時に着岸したら、午後からは既に遊び放題タイム。さっそくダイビングに勤しんだ。
幸運なことに、21年6月のNHKダーウィンが来た!と同ワイルドライフで「こころ」と名付けられ密着取材されていたシロワニの個体に会えた。番組内では弟島で妊娠が確認されていたため、なんだか勝手に親戚の気分になってジーンとしてしまった。こころや、子供は元気にしとるか?
シロワニは体にある斑模様で個体識別ができる。うっすらと期待しながら探してはいたが、個体識別されているだけで50匹はいる中でまさか会えるとは思わなかったので本当に感激した。
2日間で計5本潜ったが、天気はよくても風速が14mあって外洋は波がザッパンザッパンしており、湾内でしか潜ることができなかったので撮れ高がない。残念。
ダイビングを終えてから、大晦日の自覚がないまま飲みに行ったり帰って紅白歌合戦を見たりしていると気付けば23時をまわっており、慌てて港から程近い大神山神社へ向かう。
例年は年越しの瞬間におがさわら丸の汽笛が鳴るらしいがコロナのせいか今年は鳴らず、周りの地域住民もザワザワ。代わりなのか有志が港で小さな打ち上げ花火をやってくれて少し盛り上がった。
小笠原には、ウミガメの甲羅を薄く切って紋様を刻む職人がいる。同じ甲羅や部位がふたつとないことから、おのずと全てが一点ものになる。
この職人さんの作品は様々なお土産屋さんで見ることができるが、お守りとして作られているのはこの神社だけだそうだ。
無事に年が明け、元旦はというと早朝から陸のツアー。
父島は太平洋戦争前に島のほぼ全面に人の手が入っているため"原生林"というものは存在しない。
しかし戦争時に強制疎開で島民がいなくなった1944年から日本へ返還されるまでの24年間で森林が回復。島民が戻ってきてからは貴重な固有種を家畜や野猫から守るため柵などを設置して区分けし、一部はガイド同行でしか入ることができないようになっている。
"ムニン"というのは"無人"という意味。かつて無人島だったことから小笠原はこう呼ばれ、訛って"ボニン"となり、小笠原諸島は英語で"bonin islands"、特有の海の青さは"ボニンブルー"と称される。
陸ツアーは午前で終わり、午後からはレンタカーで島を一周。父島は寄り道しなければ1時間弱で一周できてしまうぐらいの広さである。
途中でビーチに打ち上がっているオガサワラノスリ(固有種)の死骸を見つけてしまい、ビジターセンターに電話して研究者の連絡先を聞いて連絡したり死骸を流されない場所に移動したりしていたら1時間ぐらいタイムロスしたが、研究者にはとても喜んで貰えた。
そういえば宿は朝晩食事付きにも関わらず毎晩飲み歩いていたので島の飲み屋もご紹介。
こんな生活で旅行中に蓄えた体重の2㎏が未だに落ちない。
…小笠原のことは愛しているが、2回目なので書くことがあまりないことに気付いた。
3泊4日の父島滞在を終え、帰りの船へ。
出港時直前は島民全員かと思うぐらいの人が港へ集まり、太鼓の演舞があったりいたるところで旗を振っていたり、とにかく大盛り上がり。
島の人がかけてくれる言葉はきまって「いってらっしゃーい!」。旅行客でも帰省者でも分け隔てなく、またおいでよ、という心がこもっている。「いってきまーす!」と返しながら前回も今回も泣いてしまった。
かくして私の年末年始の小笠原旅行は終了し、現実へ戻ってきたのであった。
絶対また来るからねーー!!!