ダルビッシュ有投手は自身のことを「自分には価値がない」と繰り返し仰っている。私はこの考えが好きだ。できるだけ「自分には価値がない」と思って生きたいと思っている。実際にそう生きるのは、想像以上に難しいのだけど・・・
勿論、ダルビッシュ投手は野球選手として価値があるのは間違いない。野球を少しでも知っている人は皆そう思うはず。となると「価値がない」とは、野球選手として、ではない。
それに、ダルビッシュ投手は「自分に価値がない」と言いながら、その口調は淀みなく真っ直ぐだ。謙遜しているわけでも自身を卑下しているわけでもないと思う。
ダルビッシュ投手の言葉は、私が聞いてきた仏教(浄土真宗)の話と、通ずるものがあるなと感じた。
私たちは、成績や業績、フォロワー数や人からの評価に悩み、ときに自分や他者を傷つける。しかし、仏様からすると、いくら野球が上手くても成績が良くても仕事ができても全く関係なく=「価値がない」であって、皆同じかけがえのない仏の子なのだ。
ダルビッシュ投手はこんなことも言っていた。
この言葉について、侍ジャパンの若いメンバーのプレッシャーを軽くするために言ったのだろうという意見が飛び交っていたが、私は誰かを気遣った言葉ではなく心からそう思って言った言葉だと思う。ダルビッシュ聖子さんの兄・山本KID徳郁さんの死や、弟ダルビッシュ健太さんの闘病など、「命」に触れてきたからなのだと想像する。
ただそこに生きていることの重さ=「本来の価値」を感じているダルビッシュ投手からすると、野球が上手くても下手でも「本来の価値というのは生まれたときから変わらない」のだろう。
WBCでダルビッシュ投手が登板した準々決勝のイタリア戦後のインタビュー。
日本で最後の登板かもしれないから「かみしめて投げていました。」と答えていた。これも凄く素敵だと思った。
自身のことを「価値がない」と仰るダルビッシュ投手が、感謝の気持ちを持って噛み締めて投げていたというコメントに感動した。自分もできるだけ、そんなふうに毎日を過ごしたいと思った。