あげられなかったコイン
Save on foodの前で、晴れの日も、雨の日も、夏も、冬も、物乞いをしている男がいた。
汚れたダウンジャケットを羽織い、ボロボロのリュックを背負って、キャップ帽を募金箱代わりにコインを恵んでもらうのをずっと待っている男。
私の記憶が正しければ、私がスコーミッシュに越してきたときから彼はそこにいた気がする。
BC coastには、物乞い(beggar)がとても多い。
見るからにホームレスという人だけではなく、働けそうな若い人もかなりいる。身なりも最低限というわけでもない。
"Travel, broken, hungry"段ボールに書かれた文字を見るたび、人に小銭をせびるより、どうして働く努力をしないのかな。と思ってしまう。
以前、そういう若い人に果物をあげたことがあった。
そしたら、お礼の代わりに、世の中の愚痴と嫌みをいわれた。
なんなんだ。この気持ち。あげなきゃよかった。あなたはただLazyなだけじゃないか。
それから、私は物乞いの人達を見なくなった。
ただ、Save on Foodの前にいる彼は、少し違った。
いつも、キャップ帽を手に持ち、ただ立っているだけ。
屋根があるのに、あえて雨に打たれながら、青い瞳でまっすぐ前だけをみている。
はじめはパフォーマンスかと思った。
でも、何度もその光景をみているうちに、それは彼の謙虚さの現れなのだと気がついた。
彼の目は、優しい感じがした。
でも、私は彼に小銭や食べ物をついぞあげなかった。
彼になら、、、とあげようと思ったことはたくさんあったのに。
わたしは、彼よりも”持っている”のに。
そして、今日、Facebookで彼が亡くなったことを知った。地元の新聞の記事にはこう記してあった。
「彼は、ドラックの問題があった。メンタルに問題があった。
でも彼は優しいハートをもった穏やかな青年だった。
彼は、私たちと同じように誰かの息子であり、兄弟であり、友人であり、なによりこのコミュニティーの一員だった。
わたしたちは出会う全ての人に、優しい目をむけ、できる範囲で手を差し伸べるべきであろう」
私が小銭や食べ物を少しばかりあげたところで何が変わったわけではなかっただろう。
あげたところで、満たされたのは彼の空腹ではなく、わたしの自尊心だっただろう。
たとえ、そうだとしても、私は後悔している。
Rest in peace James
Save on foodの前よりも、今は安らかな場所にいることでしょう。
*Save on food =チェーンスーパーストア。この記事はパンデミックよりも前の記事です パンデミック以降は物乞いやホームレス支援として行政の援助が入っているので街ではあまり見かけなくなりました*