近所のおじさんにまつわる話
近所にとても人のいいおじさんがいる。
押し付けがましくもなく、
ごく自然な感じで息子の遊び道具を自分の家の倉庫からもってきてくれたり、”◯◯に困っていない?”などと声をかけてくれる。
ホームステイの受け入れもしてるみたい。
とりわけ深い話をするわけじゃないけど
気にかけてくれる人がいるんだなあ と心の芯がぽっと温かくなる。
わたしはまだまだ気の使い方がへたくそ。
(まあ、”気を使おう”と思う時点で自然じゃないのだけど)
正直、エゴの方が勝ることもあるし
相手にとって余計なお世話かなあとか
逆にお世話になっちゃって貸しを作ったら悪いかなあと想い巡らせ
結局行動に移せないことが多々ある。
おじさんみたいに、
自然に気持ちを行動に表せるようになりたいなあと思いつつ、そのレベルになるにはまだまだ心の修行が必要だわ。と実感する。
気づいてる。
”殻をなかなかやぶれないわたし”が自分のなかにいくつも存在している。
きっとその殻をやぶったら楽になるのだけど、やぶれないままでいる状態にしがみついてる。
少し前々では気づいているなら勇気をだして行動どんどん行動に移す方がいい。って思ってた。
やぶろうよ、その殻。
でも、最近思う。
人は、年齢(経験)とともに熟成されていくのかも。と。
無理矢理殻をやぶるのでなくて
自然に殻が割れる時期を待つのも大事かも。と。
わたしはいま、子育てとか妊娠とかで、まず自分と家族のことでいっぱい。
金銭的にも、これから数年もっとも余裕の無い時期が続く。
それでも楽観的に暮らしてるつもりだけど、ジワジワきてるのかな?
そのひずみでユーモアボックスが小さくなっていることに気づかされる。
そういう時期を経て、自分と家族のことが少し落ち着いたら
自然とユーモアボックスの容量が増えて
他人に対しても純粋に興味が湧いてくればいいなあ。
今は、妊娠、出産、幼児、海外生活。。。
周りの人のサポートあるからこそ心身ともに健康に日々送れています。
わたしの周りはほんと素敵な人ばかりなんです。
申し訳ないのは、受けっぱなしで返せてない。
申し訳ないな~と思う気持ちと同時に
いつかもうちょっと余裕ができたとき
行動というエネルギーに替えて、必要としている人にそっと届けるんだ
おじさんみたいに。そんな気持ちを胸に秘めておこう。
その時には、自然に言葉を越えて雰囲気で気持ちが伝わるようになってたらいいなー。(ポジティブな意味でね)
人生、常にポジティブバンザイ!右肩あがり突き抜けてけ~!じゃなくてもいいね。
色々経験して、感じて、揺れて、それをひっくるめて右肩あがりの人生なのだ!
*10年後の私から、10年前の私へ。
相手の気持ちを思い測り過ぎて行動できないのは今もあるよ。
でも、10年前のあなたは、人にどう思われるかが気になっていたんだね。
だからきっと行動に移せなかったんじゃないかな。
10年後の私は「人にどう思われるか」はそんなに気にならなくなってきたよ。表現したいことをしてもいい。そう、自分を許し、言い訳を作らないようになってきた。
10年間の中に詰まったたくさんの経験を通して。
でも、忘れていたな、「誰かに行動としてそっと届けよう」という気持ち。
思い出させてくれてありがとう。