hnnm(半ナマ)界隈で同人活動をするということ
hnnm(半ナマ)界隈で活動してみて
私は2022年から本格的に小説を書き始めた。そこはhnnm(半ナマ)界隈、「テレビドラマや映画といった実写作品を扱った二次創作」をするところだ。表立って活動できないその場所は、他ジャンルと比べると本当に動きが少ない。
みんな、X(旧Twitter)のアカウントに鍵をかけて、ひっそりと創作活動、同じ作品が好きな人と交流している。
Pixivのようにオープンな場所で小説やイラストを投稿するとなれば、「推しが傷つくだろ!ファンなら隠れて活動しろ!すぐに消せ!」と一部のファンから非難されることも少なくない。あえて直接言われずとも、SNSの鍵垢で悪口を書かれている可能性が大いにある。
「マナーを守れ」「隠れて活動している方に敬意をはらえ」「オープンな場所で承認欲求満たしている人たちは恥晒し」そんな言葉が簡単に飛び交うのだ。活動しにくいことこの上ない。
なぜこのような攻撃的な言葉が言えるのか、それは「隠れて活動している自分は推しを大切に考えられてえらい」「今の活動方針を続けている自分を、もっと褒めてほしい」こんな気持ちが少なからずあるからだろうな、と思う。言わずとも、気持ちが垣間見えてしまう。
だってそうだろう。誰だって、pixivのようなオープンの場所で作品を投稿したい。そちらの方が反応を貰いやすいし、感想も送りやすいし、同人誌だって買ってもらいやすい。他ジャンルみたいに、自分も交流したい、チヤホヤされたい。そんな欲をみんな胸の内に抱えている。
別に、私はhnnm界隈について文句を言っているわけではない。そして、この活動方針は悪いことではない。むしろ良いことだと思う。推しには傷ついてほしくないし、好きなことを発信して自分も傷つきたくない。隠れてでも自分の妄想を作品を通じて発散できる場所を設けてくれることは本当に感謝している。
マナーを守るのは推しのため?
いいや、違う。全て自分自身のためだ。
自分とは異なった考えを持ったオタクを視野に入れたくない。
実在の人物でエログロは想像したくない。
外野から攻撃されて傷つきたくない。
さまざまな考えが集まって、界隈マナーが生まれた。
二次創作で活動するものは、他の界隈で推しを応援しているものに比べて抱えているものが少し異なる。自らの胸の内にあるものを形にして、溜まった思いをぶつける。それが誰かの心のほんのわずか、少しでも刺さってくれたら嬉しい。語れる人なら、なお嬉しい。
でも、hnnm界隈のように活動する場所が限られているところでは、それなりの覚悟は必要だ。自分の作品があまり見れもらえないという覚悟、同じ作品を好きに語り合える仲間が作れないという覚悟、非難されるかもしれないという覚悟、これを自覚していくのが長く続けていく秘訣なのだ。
最近、hnnm界隈で唯一、小説を投稿できるサイトが人為的な攻撃にあったため、投稿できる場所が一時的になくなった。やっとhnnm専用投稿サイトができて嬉しかったが、やはり登録している人数が少ない。あとは、個人サイトを運営するしかない。ほぼ生命線が絶たれたと言ってもいいだろう。
唯一、hnnm界隈が活発になるとすれば、同人イベントだ。私の参加しているジャンルのサークル数は約200spほど。SNSが過疎状態なのが嘘のように人がいる。一列全て、自分がメインで活動している作品だとなれば尚更だ。
同人誌は旬のジャンルだと、完売することもしばしば。人気が落ち着いても、10冊購入してもらえれば万々歳。長く続けていけば手にとってもらえる数も比例して少なくなり、必然的に寂しさを感じるだろう。自分のために活動しているのに、他人のために作品を制作しているわけじゃないのに。承認欲求とは、何かとめんどくさい。
hnnm界隈での活動の見直し
約一年半、この界隈で活動してきた。短いと思う方もいるかもしれない。どれくらいの年数を界隈に滞在し続けているのか、他の方の状況はよく分からない。
でも私にとって、hnnm界隈がありとあらゆる初めてのものを経験させてくれた。カップリング小説を書くことや同人誌を作ること、界隈で活動する人たちとの交流、ちょっとした警察沙汰案件、人間関係でのいざこざ、本当にありとあらゆることを経験してきた。これが一年半の中で起こったのだ。情報量の多さで疲れてしまう。
今年に入って同人誌を作ったのは、4冊だ。個人誌が2冊、合同誌が2冊。個人誌は一冊約200ページあった。立派な文庫本だ。さすがのハイペースぶりに、自分でも驚いている。
これらを受けて、私は来年における界隈での活動方針を見直すことにした。
・二次創作+α(推し活)をしている人と交流する
・作品は自己満足、感想を貰うのはおまけ
・宣伝できる場所では全力で取り組む
この三つだ。特に人間関係にはうんざりしているので、極力避けたいところ。
二次創作+α(推し活)をしている人と交流する
hnnm界隈は交流できる人数が限られている分、フォロワーさんひとりとの関わり合いも密になってくる。密になることで、見たくない部分まで見えてしまう。出会った頃は分からなかった性格の不一致、同人活動に対する取り組みの度量具合、それはさまざまだ。
自分が小説をアップすれば感想くれる確率は高まるが、同時に、相手の小説にも感想を送らなければいけないという使命感が生まれてしまう。好きなものに強制感が生まれる。嫌ではないが、少し負担だ。
そして私が一番不安を感じたのが、二次創作をメインに活動して他に趣味がない人。この手の人は、ひとつのコミュニティーにしか居場所がないため、限られたフォロワーや界隈の人々に依存しやすい。
自分の作品に感想をくれない。語り合える仲間が少ない。そんな気持ちが積み重なって、どんどん病んでいく。荒れていく。そして、その価値観が異なっていって、せっかく繋がった人たちがどんどん離れていく。
その一方で、二次創作以外に、他ジャンルで趣味を持っている人には心に余裕がある。hnnm界隈で嫌なことがあっても、別の場所に行けば別のフォロワーが待ってるから。そして、俳優やアイドル、アニメキャラクターのように、癒される対象が待っているから。
心に余裕があると、人間関係も円滑に上手くいくことが多い。二次創作だけをしていると、どうしても病みやすくなる。相手は依存されたら離れたくなる。本来であれば、創作活動は孤独との戦いだ。自分の作品の良さが一番分かっているのは、自分なのに。気づかずに相手に執筆人生を委ねてしまう人が多かった。
作品は自己満足、感想を貰うのはおまけ
ありがたい事に、私には読者がいる。同人誌を作れば購入してくれる方もいる。感想をくれる方だっている。それは何物にも変えられないかけがえのない宝物だ。感想がたった一言だったとしても、飛び上がるほど嬉しい。
でも、そこに執着してはダメだ。二次創作は全て自分のため、誰かのために書いているのではない。
その考えを、hnnm界隈で活動してみて実感した。限られた場所で、限られた人しか見ない。そんな場所で承認欲求が満たされるだろうか。いや、絶対に満たされない。むしろ、全然見てもらえなくて落ち込む確率の方が高い。
私がカップリング小説を書いている作品はとっくに最終回を迎え、ほとんど動きがない。来年の三月あたりになれば、もう一切供給が途絶えるだろう。
そんな中で作品を書き続ける理由は、たったひとつだけ。自分が満足するからだ。感想が貰えたら「ラッキー」くらいの気持ちでいなければ。ただ、自分を喜ばせるためなのは忘れてはいけない。
宣伝できる場所では全力で取り組む
二次創作は自分のため、相手の評価は関係ない。なら、宣伝をせずにひっそりと活動するのがいいのでは?
いいや、それは間違ってる。
同人誌をつくる。その行為は、ほぼ商売に片足を突っ込んでいるようなものだ。いくら売上に繋がらなくても、同人誌が完成するまでにかかった費用は少しでもいいから自分の手元に戻す必要がある。
hnnm界隈にも、宣伝できる場所はいくつか設けられている。そこでの宣伝は欠かせない。お品書きやポスターをつくり、宣伝文を公開する。時間があれば、無料配布のポストカードや特典の書き下ろし小説だって用意する。
準備は大変でも、苦労する分、成果にも繋がるのだ。
hnnm界隈は表立って活動できないから、尚更売上に繋がると嬉しい。
来年は今年よりも楽しい活動ができるように試行錯誤していくしかない。
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