「哲学」ってなあに?ジャズギタリストが書いてみた①神話の時代が終わりを告げる
Guitaristのタナカ裕一です。noteはじめました。
突然だけどぼくは「哲学」が大好物なのです。
「哲学」が大好物だと言うと、なんか宗教?と思われたり、「思想強そうww」とか、ようするに煙たがられたりするのだけど、それはぼくにとって何とも生きずらいので、「哲学ってなあに?」と言うことを書いてみる。
もちろん、このnote記事も煙たがられるだろうけど、文章なら嫌な人は読まないだろうから、被害?(煙たくて目が染みる)も少なかろう。
以下は出来るだけ、専門用語だったり、哲学者の名前だったり、固有名詞みたいな覚えながら読み進める支障になりそうなワードは少な目に書いていけたらと思っている。
哲学が目指すこと
哲学はそもそも何を目指しているのだろう?
冒頭に「思想強そうww」と冷やかされがち、みたいなことを書いたけど、ここで言っている「思想」と言うのは「主観(思い込み、それはアナタの感想ですよね?)」が強そう。って意味でしょう。
けれど、哲学と言うのは主観や思い込みを解体しようと言うような取り組みなので、真逆なのである。
それでは、人類が主にどんな「主観や思い込みを解体」してきたのか哲学の功績を振り返ってみよう。
哲学と言うのは主観や思い込みを解体しようと言うような取り組み
神話じゃない!科学だ!
古代ギリシア、だいたい紀元前600年とかそのくらいにはもう人類はがっつり哲学してた。覚えなくてもいいけどタレスと言う人が
万物の根源(アルケー)は“水”である!
と言っていた。このあたりが最初の最初らへん。
本題の続き↓↓↓
古代ギリシア人、世界が何によって成り立っているのか考えてみた
昔々、人類は今以上に自然に翻弄されながら生きていたし、それを何とか神話とか言い伝えみたいなもので、嵐が起こったら「山の神がお怒りだ」とか言って何とか、無慈悲なる自然の振る舞いに納得しようとしていた。
けど、神話や言い伝えってホントに正しいの?それってアナタの思い込み、感想、主観によって「正しい」ことにしようとしているだけで、実際に正しいかどうかなんてアナタは考えてないし、興味すら持っていないんじゃないの?って言った。
つまり、この世界、荒れ狂う自然、それを神話や言い伝えを鵜呑みにしないで考えてみようよ。そこには何か理由があるんじゃないの?と考えてみたくなった人たち。これが哲学のはじまりでありましょう。
古代ギリシア人、世界が何によって成り立っているのか考えてみた一覧が以下。
最初は水だの火だの空気だの個別に要素を挙げていた。
で、まとめたら「土・空気・火・水」じゃないの?って感じで、ファイナルファンタジーのクリスタルみたいな感じの世界観になった。
そこからがスゴイよね。一気に「原子(アトム)」と言うものに考えごとだけでたどり着いている。あとは「数」と言うのもすごいよね。要するに数学や物理など、科学の時代の到来を紀元前には示唆していた。
神話じゃない!科学だ!
「神の時代」科学の発展には時間が掛かる
神話じゃない!科学だ!と言ってみたものの、科学の発展には時間が掛かったのでした。
ギリシアの哲学はざっくり紀元前七世紀頃から紀元後六世紀くらいの期間やっていたのだけど、それから科学の時代、人間の考えごと、理性を信じて未来へ向かおうぜ!ってなるあたりが、「我思う、故に我あり」でおなじみルネ・デカルト(仏、1596年3月31日 - 1650年2月11日)なので、約千年くらい間が空いちゃう。
じゃあその間どうしてたのかと言うと、「神の時代」がそこにありました。ようするにキリスト教ですね。
要するに、この世界は「原子」や「数」によって成り立っているのだと言ってみたところで、それを証明できる科学はまだなかったので、いくらこの世界が「原子」や「数」によって成り立っているのだ!と言う考えごとが正しそうでも、証明できなければ結局また
主観、思い込み、それはアナタの感想ですよね?
ってなってしまって、「じゃあさ!」もう全知全能なる神様がいて、世界はそれによって成り立っているんだよ。ってことにしちゃった方が便利じゃないすか?って感じになった。
神の時代はざっくり1,000年間くらい!(600-1600年とか)
人間の「理性」を信じる時代が始まった
キリスト教、教会に任せてたんだけどね。
ルター(独 1483年11月10日 - 1546年2月18日)って社会科で習った人。ザックリで言うとキリスト教に任せてたら、免罪符を買ったら罪が赦されますよ!とか、結局庶民から金むしり取る組織みたいになっちゃって、それでルターって人が「そう言うの良くないと思う!」って言ってた。
もうこのころには、神に任せていても良くならないんじゃね?ってみんなが気付き始めていた。
でもかと言って、1,000年間も「神が絶対!」みたいにしてやってたから、急に神様を捨てるのは抵抗があったし、仮に神様を捨てたあと、つまり人間がまたひとりぼっちで何かやったとして、それで本当に上手く行くの?って疑いがあるよね。そこで登場するのが、前項の「我思う、故に我あり」でおなじみルネ・デカルト(仏、1596年3月31日 - 1650年2月11日)
全てを疑って、疑って、疑ってみた。
全てなんだから、ワタシのことも疑ってみた。例えばワタシは本当にいるの?疑わしいよって。
だけど、そしたらこの「ワタシを疑っているワタシ」ってこれは絶対あるよな。それについては間違いなく認識できているといえるよ。
ああ!神に頼らなくたって。人間の「理性」によって間違いなく正しいことにたったひとつだけど、でも!たったひとつたどり着けたぞ!!
近代哲学スタート!神の時代から、人間の「理性」を信じる時代が始まったのでした。
近代哲学偏は、次回へ続く!
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