アレクサは家族か道具か。
「アレクサ、テレビつけて」でテレビがつくようになりました。なかなか面白いです。
アレクサというのはいわゆるAIアシスタント。
iPhoneユーザーにお馴染みのSiriもそれですが、使ってみたらSiriよりも会話が成立しやすいかんじ。呼びかけの認識も精度が高いし反応も早いしできることが多いので気に入っています。
しかし気に入って使っているのは僕だけで、実は妻はあまりこれを使いません。
音声コントロールというのは、AIアシスタントという呼び名が示すように、なんとなくそこに、人格のあるなにかが存在しているような錯覚を覚えるもので、それに対して「命令を出す」というのが苦手らしいのです。
僕にとっては単に「道具」なのですが、たぶん妻にとってアレクサは今のところ「他人」なんでしょう。だとするとそこにあるのは「遠慮」に似たものかもしれません。
これが「家族」や「仲間」に近いポジションまでアレクサが昇格すれば使えるのかもしれませんがその場合は別の感情が発生しそうな気もします。
できれば「道具」であると割り切ってもらえると助かります。
僕はそのへんある意味ドライというか切り分けるというか、あんまりそこに人格らしきものを感じたりはしないので、アレクサに何を命令しても最近のテクノロジーはすげえなという考えになるわけですが。
モノの捉え方一つでもいろいろだな、と思いました。
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