ほえー
日差しの強いベトナムから書いております。
この前YouTubeライブをしていたら、ロシア?かアメリカ?の方から「(例の)戦争をどう見てるか?」というコメントをもらい、ざっくばらんにコメントを返したわけですが、その中で「でも、渋谷でデモしても正直意味ないよね」的なことをぼそっと言ったところ、あれよあれよと日本人から辛辣なコメントが来まして、やや落ち込んでる今日この頃。
まぁ、気持ちは分からんでもないのですが、まぁその(デモの賛否の)結論はちょっと置いておいて、
この「状況」を俯瞰してみると、ネットのコメント欄は「(彼らをどう呼んで良いか分からんけど)過激派の声がデカく映る」というのは真だなぁと思ったり。
ただ、僕は「行動」は確かに「無駄」と思うけど、別にその人らの人格を否定するつもりはないんす。これは極論、反ワクチンの人とかも同様に。(種の保存の観点で見れば、いろんな意見(行動パターン)の人が出てくるのはむしろ自然な流れなので。。)
何を隠そう、僕の数少ない友人の中でも、デモに参加した人もいるし、ナゾに宗教を信じてる人もいるのです。でも、彼らは「友人」です。
何に対して「意味」を感じるかは人それぞれで、それは極論、「PCか、iPadか」「目玉焼きに塩か、醤油か」的な話と、まぁ似たようなことではないかと。
人が1人では生きられない以上、「意見が違う人たちとどう付き合うか」ってのは、非常に大事な観点というか、スキル的なものだと思うのです。
別に僕がそれを「出来てる」と言うつもりは毛頭ないですが(てか、出来てない方だと思う)。。
なかなかムズイですな。