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この世は神のからだ

この地球が、悲鳴をあげ警笛を鳴らしている。

パンデミックを引き起こしている新型コロナウィルスも、毎年のように起こりくる台風や豪雨、また様々な災害も、ただ私たち人間を苦しめるだけのものなのだろうか。

当然のことながら、人間がそういった災害を直接引き起こしているのではない。

大いなる自然の意思と働きによるものである。

しかしその原因を作っているのは、少なからずこの地球に生きる私達一人ひとりにも有ることを自覚しなければならない。

おとずれる災害に対して、救援活動に駆けつけたり支援物資を送る。

我が事を後回しにしてでも、苦しんでいる人の為に必死になって尽くす。

そのたすけ合いの姿は、尊く美しく、まさに人として本来の在り方のように感じる。

私自身、そうやって救援活動にあたらせて頂いている中に、不思議と活力が湧いてきた経験が幾度もある。
しかし我々は、そうやって現場に目を向けているだけでいいのだろうか。

人が人をたすける。たすけ合うことが求められてもいるだろう。しかし実際、人に出来ることは限られているのである。

その場その時の窮地をしのぐことは必要だが、大いなる自然が求めているものは、目の前の困難に立ち向かうことだけではないように思う。

人間至上主義に陥った現代社会が、現在のように困難な状況を強いられた時、根本的に改めなければならないは、法律や働き方なのか。密接を避けることなのか、それとも経済を回復させることなのか。

それらも課題かもしれない。

しかし私たちが今、何よりも見つめるべきことはもっと他にあるのではないか。

この世界は私達人間のものではない。

人間がこの地球を守るのではなく、私達はこの地球環境を含めた、大いなる恵みに絶え間なく守って頂いていることをもっと自覚しなければいけない。

どれだけ技術が発達しても、人間は物質的に、無から有を生み出すことは出来ないのだ。

大雨を降らすことも出来なければ、水一滴を生み出すことも出来ない。

しかしすべての動植物は、その水という天然自然の与えの上に、あらゆる生成を遂げている。

私達の命は水に守られているのである。

つまり私達が普段、当たり前のように使っている環境資源のすべては大いなる与えであり、その働きによって間違いなく私達は、この世に生かされて生きている。

それは偶然の産物などではない。私達の生命が偶発的なものとする事は、生命に対する冒涜でしかない。

命が生まれた意味。そこには必ずや大いなる意思があるもの信ずる。

その大いなる意思が、この世界はこのままではいけないよとあらゆる手段で我々に警笛を鳴らしているのだ。

水害に苦しみ、見えないウィルスに怯えるこんな時だからこそ、今一度、水の有難さ、大気の有難さ、この世界に与えられているあらゆる資源の有難さを再認識して、その大切さを次代にも伝えていかなければならない。

地球環境を大切にしようというのは常識的な見解ではあるが、その環境に大いなる意思があると考える者は、現代人には少ないだろう。

けれども今、本当に見つめるべきところはその点に尽きるのではないだろうか。

経済を豊かにしても、技術を発達させても、全てはこの世、この地球、この命があってこそのもの。

この人間世界を創造し、今もその環境を与え続けて下さる大いなるものが、現代人に伝えたいことがあるのだと受け止め、それを真剣に思案することが、まずは求められているように思う。

そして改めるべきは自分自身の心使いであり、日々の暮らし方にこそあると思うのだ。

国の所為、ウィルスの所為、災害の所為にしていても、決して根本的解決に繋がることはない。

台風や豪雨、また様々な災害が、私たち人間を苦しめるだけのものとするのではなく、その状況を与わらなければならない根元になっている所を悟り、心を改め、今こそ行動にうつす時なのではないか。

人間を創造したものを神と呼ぶならば、

まさに「この世が神のからだ」であり

私達は今現在も、その大いなる意思によって生かされていることを忘れてはならない。

長文呼んでいただき有難うございました。
次回は「心通りの世界」です。

読んで頂きありがとうございます! 皆さんが読んでくれるお陰で、頑張れます😁 今後とも宜しくお願い致します😌