妄想庭園【夏】植物に操られて/④偽りのカリスマガーデナー
鉢植え植物の泥沼にハマる以前には、定期的に近くのスーパーで花を買い活けていた。掃除をした後や家の物を処分し断捨離をした後などに、気分が良くなり部屋に花を飾りたくなるのだ。ついでに花瓶に活けた花を写真に撮ってインスタにあげてやれば、投稿のネタにもなる。安アパートの安物家具ばかりのオシャレじゃない部屋でも、撮影の仕方を工夫して、部屋の余計な物が映らないようにし、花だけアップにしてあげればそれっぽくなるものだ。貧乏人でも工夫次第でクリエイティブな事を楽しめるという創造の知恵というものだ。
生花だけでなく、萎れてきた花をあえてドライフラワーにしたり、気に入った器に果物を盛ってみたり、花・果物たちは写真のためのモデルとしても活躍してくれるのだ。
なぜこんな事をしているかというと雑誌や本などで活躍する、素敵なライフスタイルを紹介するインフルエンサーの生き方に憧れるからだ。素敵な暮らし自体を楽しんだり、家具や雑貨などの持ち物や道具にこだわったり。そんな人達の写真を見ると本当におしゃれで素敵で、ごちゃごちゃと雑然とした自分の部屋とのあまりの違いに愕然とする。生活臭丸出しで余裕のなさが部屋中至る所に溢れている。
もしかして草花の鉢植えもそんな、「余裕のある暮らし」イコール「おしゃれ」を感じたいがために取り入れようとしているのかもしれない。結局鉢が増える一方でごちゃごちゃし収集がつかず、断捨離も意味がなくなってきているのだけれど。
貧乏性ゆえ、パッとしないプラ鉢を使い、枯れそうになると、枯れてしまうのはもったいないと右往左往し、まったく気が気ではない。ここでは、完全に植物が主で私は世話を焼く係の経験不足の使用人だ。
こんな甲斐性なしの奴ですまん。カリスマガーデナーじゃなくてゴメンね、という申し訳ない気持ち。この子たちは私なんぞに育てられている事が、本当にいい事なのだろうか? もっとベテランの、植物を育てるのが上手な裕福なご家庭に里子に出された方が幸せなのではないのだろうか? 立派なお屋敷で、素敵な家具に囲まれて、明るいご家庭のテーブルの真ん中、一番華やかな舞台の中心に立つことを夢見てこの世界に生を受けたはずなのにね。
植物たちは慰めることも、励ましてくれることはもちろん、叱責することも罵ることさえもない。何も言わず元気を無くし、しょんぼりと萎れて悲しそうな表情をするだけだった。