Fifty Shades of Grey
私の直感。
めったに発動しないんですが(笑)
たまに作動した話し。
この映画の存在は最初、小説も何も
知らなかったんですが
たまたまこれが公開される前後に
東京に行って
神田で電車待ちしていたら
このポスターが貼られていて
映画の宣伝をしてたんですね。
そこで知って
内容なんて全くわかんないし
画像からすると
なんかちょっといかがわしそう?(笑)
だったけれど
何故かわからないけれど
どうしても見なきゃって内側がなって
見てみてきたわけです。
BDSM(?)が
とか
性的描写が
とか
色々言われてるのを後で知ったけど
私にとって別にそこが問題ではなかった
三部作の最後の方だったか?
小説まで見て
主人公の男性、グレイが
自分は母親から愛されなかった
と、苦しみに苦しみ抜いた末に
表現する所があって
その一連二連三連の苦しみにつぐ苦しみを
私の自分の内側にあるものとして
この話しを通して再確認する作業を
このストーリーを見る事で
弱冠の浄化というか解放というか
内側の痛みに気づいたと言うか、、、
今ほどリアルに自分の傷に向き合えていなかったと
思われる当時
自分の痛みや傷に気づく
そして少し癒しをもたらす
一役をかってくれた映画でした。
その後学んだ
大嶋信頼さんの講座で
サドっ気もマゾっ気も
SMも変わった性癖は
幼少期の親との関わりの中で作られると。
もう
ガッテンガッテンガッテン(古い?)
大納得。
この映画に
母親と同じ髪の色の女性を傷つけたい
そこに性的興奮を覚えると言う表現がありますが
そこも、グレイの性癖も母親とのトラウマ
そう言うことなわけで、、、
素人(失礼)の方が書いた小説だけど
心の仕組みというか構造が
よく書かれていると感嘆しました。
やっぱり
母に愛されなかった傷が
めちゃくちゃ響くという、、、
本当はみんな
愛されたかったわけです