今医療者が感じている違和感
どうやら、今回の第三波は手強いを通り越し、じわじわと取り返しのつかない状況に私たちを追い込もうとしている。
3月の第一波が回避できたのは、言うまでもなく緊急事態宣言が出された結果だ。あのとき医療側の資源的には極めてギリギリの状況であったが、有名人の逝去やSNSやメディアを通しての世界からの訴えにより危機感を煽った結果、多くの人がようやく自分ごととしてコロナ感染を捉え自己犠牲を伴う行動をとってくれた。
あの時はそういえば天も味方してくれた。3月末の週末に奇跡的とも言える季節外れの大雪が降ったのだ。なかなか若者や会社員が街にでるのをやめない中、朝起きて窓から道路に雪が積もっているのを眺めた私は「よしっ」と小さく拳を握った。
降雪を心から喜んだのは学生の時以来だ。
8月の第二波は比較的早くに消退した印象があるけれど、これはコロナウイルスの性質がわかってきたことと、みなさんがお盆の帰省を控えて感染拡大地域が大都市限定だったこと、さらに国民にまだ規制に対しての忍耐力があったことなど複合的要因があってなし得たものだ。
12月からのこの第三波はどうか。
言うまでもなく政府が首相肝いりのgo to事業に固執して後手後手なことが1番の要因だろう。ただ、第一波の頃から無用な布マスク配布など失策だらけなのは変わっていないことから考えると、大きな要因の一つは政策というよりも、自粛疲れに苛まれた人々の意識の問題だ。
長い自粛が続いているためどうしようもない面があるかもしれないけれど、感染を制御するにあたってこの問題が与える影響は非常に大きく、今後も感染制御に向けての重要な要素だ。
今、医療者たちの感染対策のルールはどうなっているかというと、東京の大病院の多くはアルコール提供のある会食は禁止なことはもちろんのこと、アルコールなしでも院内関係者同士の会食は禁止であったり、限定的な条件(人数は3人まで、食事摂取は15分以内、でそれ以外はすぐにマスク着用、合計1時間以内)でしか許可されないなど、多くの制限がある。
院内での昼食の様子を見てみる。
院内感染を防ぐために対策が徹底されているところでは、食堂の机はアクリル板で個々に仕切られ、向かいには誰も座らないように全員が同じ方向を向いている。
私語は禁止されているため、同僚と食事をしに行っても喋ることは出来ず(こそこそと喋る程度)、個々が黙々と机に向かって食事をとっている。まるで刑務所ドラマでも見ているかのようなランチタイムの風景だ。
というか、これはもはやランチタイムなんてポップな響きは似合わず、食事摂取タイムという方が正しい。
皆さんの職場は今どうだろうか。
病院が最も感染対策に気をつけないといけないのは当然のことで、ここまで徹底していることは少ないだろうが、食事時の感染対策はどこまで配慮されているだろうか。年度末で忘年会がピークとなる時期が近づいてきたが、表面上の感染対策をしているとこじつけて大人数で開催していないだろうか。
今、東京都は1日あたりの感染者数が600-800前後の、1週間で換算すれば4000-6000人近い感染者数で推移しており、東京の人口を1000万人とするとこの1週間で2000人に1人感染していることになる。
確かに身の回りに感染している人がいなければ当事者意識が生まれないのかもしれないが、これはかなり高い確率で、特に活動性の高い場所で生活している人にとっては確率はもっと上がり、ある種のロシアンルーレットに近い状況だ。
ただ、なかなかこの危機感はみなさんには伝わらない。
数日前から病院から駅までの帰り道には、忘年会を終えた若者やスーツ姿のおじさんたちが、高揚した気分を抑えきれず大きな声でコロナがなんだーと叫んでいる様子を見かける。
気持ちはわかるから仕方ないと思いながら、やはり一般の方との温度差に釈然としない気持ちを抱えたままテレビをつければ、率先して模範を見せるべき首相自ら高齢のお爺さん仲間と8人で会食をしていた。そして翌日にはコロナ対策代表の大臣が太鼓持ちのように辻褄を合わせるべく「一概に5人以上で会食がだめだとは言ってない」と発言し、もはや空いた口が塞がらない。
社会も政治もうわべの対策に終始し、なんだか医療現場の危機感だけが社会から取り残されてきているような感覚だ。
みな何か忘れている。
感染が拡大して最後の最後に困るのは、経済ではない。
大事な人の命が守れなくなることだ。
多くのコロナ患者を受け入れてる病院は、もともと救急分野での貢献度が高い、地域の最後の砦的な病院が多い。そこがコロナ重症患者で埋まってしまえば、本来ならそこに行くべき助かるか助からないかわからない瀬戸際の患者さんは今後どんどんと溢れてしまい、コロナはもちろん、それ以外の病気でも多くの人の命が救えなくなる。
私は若いから重症化しないので大丈夫。
それはそれでいいでしょう。どう考えるかは、あんたの自由だから。
でも、あなたが感染したことがきっかけで失われる命は、あなたのすぐ側の大事な人かも知れないよ。
それでもいいか今一度考えてみてほしい。
結局、感染が拡大していくか否かは、あてにできない政治家ではなく、私たちの当事者意識にかかっている。
再びわたしたちの意識が問われている。
今、あなたにできることはなんですか。