なぜ私はTwitterで多湖淳教授の見解を批判したのか

多湖先生がTwitterをしておられないことを存じ上げずに、ご本人がおられないところで批判的な記述をしたことからも、こちらでその意図をお伝えできればと考えました。

『法学セミナー』の「たたかいと法」の特集号で、「国家間戦争と法」と題して、ご専門の戦争研究について国際政治学の知見から分析をなさっておられることは、大変に有意義なことであり、専門家がこのようなかたちで社会に発信する模範のような優れたご貢献であろうと思います。他方で、論文の末尾で、ウクライナ戦争に関連して、テレビで「意見を述べることに使命を感じる「研究者」」への苦言を呈しておられますが、そのようなご指摘は優れた論考の価値を損ねる不要な記述であると感じました。

私自身は、イギリス政治ではこの間しばしばテレビなどでコメントをすることがありましたが、ウクライナ戦争関連で呼ばれることはほとんどありませんでした。したがって、そこでの批判対象には該当しないのかも知れません。他方で、多くの優れた友人の研究者がその専門家としての知見を示していることを、とても有意義だと感じておりました。とりわけ、いわゆるタレントやテレビ解説員の一部の方が、ときにはあまり的確とは思えない論評をされていたり、基本的な知識が不足した状態で発言をしている様子を見る中で、多くの国際政治学者がそれらを修正して一般の視聴者に有益な発信をしていることは重要な社会貢献と感じました。

もしもそれらの「研究者」方々の発信が問題があると多湖先生がお考えであれば、そもそもその批判の対象の「研究者」が誰なのか、そしてその発言どのような内容が「世界水準の国際政治学」の知見をふまえていないのか、そして「世界水準の国際政治学」の知見をふまえないとみなしておられるそのような発信の、具体的にどのような部分が問題を有しているのか、説明するのがその論考では求められるのではないでしょうか。

少なくともSNSでの発信とは異なり、学術研究の成果を基礎として発信をする媒体である以上は、単なる印象論として根拠なく述べるのではなく、多湖先生が日頃からおっしゃっておられるような「実証性」と「反証可能性」を備えた記述であるべきと考えます。というのも、そのような多湖先生のご指摘が重要な批判的な分析を含むものであって、今後の日本の国際政治学の発展に資するとも考えられるからです。また、日本の国際政治学が今後よりいっそう国際水準で通用するものとなるためには(この場合は、私の場合は、外交史、軍事史、戦略研究なども含みます)、これまでの日本の国際政治学の学界での研究で、批判すべき要素も多くあるであろうということは、私も多湖先生と認識を共有しているつもりです。

学術的な成果を基礎とした、論理的で、実証的な成果を発信する『法学セミナー』という権威のある誌面で、対象を曖昧化した他者への「悪口」と受け止められるような記述は避けるべきであったと思います。また、実際にそうであることと思いますが、多くの誤解を招きます。

これから多湖先生は、日本の国際政治学を牽引していかれる方であり、世界水準で通用する研究をこれまで大変なご努力で蓄積されてきたことと敬服しております。また、ご著書『戦争とは何か』からも、私の専門や知識では認識できなかったような、多くの知見を学びました。そのような敬意からも、国際関係論という極めて間口が広く、方法論的な多様性が許容されるべき領域で、あまりにも自らの正義感や信念から、学問的に不寛容な発言をなさって、不必要に一部の研究者の不快感を惹き起こす必要はないのではないかと愚考します。

多湖先生の学問的蓄積と学問的知見に敬意を示しながらも、そのような私の意向が伝わればと願っております。

(当初はこちらはFBで投稿したコメントですが、一部の誤字脱字などを修正して、その経緯や意図が誤解されぬよう公開をさせていただきました)

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