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「琵琶湖周航の歌」の歌詞の意味を考えてみた

先日、「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜」で、「琵琶湖周航の歌」が取り上げられていました。この歌は、私の母校である京都大学の前身、第三高等学校の水上部(現ボート部)で誕生しました。私が大学時代に所属していた京都大学グリークラブでも、愛唱歌として、コンサートや飲み会の終わりに必ず歌っていました。

「琵琶湖周航の歌」は、誕生から100年以上経過した今でも、京都大学で歌い継がれています。

さて、今回は、「琵琶湖周航の歌」の歌詞(3番まで)の意味について、考察してみたいと思います。なお、このnoteで取り上げる解釈は、作者の自伝などに依拠したものでなく、あくまでも私の想像によるものです。


作詞者、小口太郎

作詞者である小口太郎は、第三高等学校を卒業後、東京帝国大学に進学し、物理学の研究者となります。しかし、その後に精神疾患となり、26歳の若さで自ら命を絶ったといわれています。

1番「われはうみのこ〜」

われはうみのこ さすらいの
たびにしあれば しみじみと
のぼるさぎりや さざなみの
しがのみやこよ いざさらば

われはうみのこ さすらいの

唱歌「われは海の子」の冒頭、「われはうみのこ しらなみの」を意識したものと想像されます。

柿本人麻呂が、和歌の中で、琵琶湖のことを「近江の海」と表現しています。

「しらなみ」の荒ぶる海のイメージとは異なり、「さすらい」という表現が、琵琶湖の穏やかさを感じさせます。

たびにしあれば しみじみと

このフレーズは、有本芳水の「芳水詩集」、

旅にしあればしみじみと 赤き灯かげに泣かれぬる されば人生は旅なり ああわれは旅人なり さらばいつまでもかく歌いつづけむ

から着想を得たものと思われます。

日常の様々な人生の悩みから離れて旅に向かう思いを、この詩になぞらえたのではないかと想像されます。

さざなみの〜いざさらば

「さざなみの志賀の・・・」は、柿本人麻呂の和歌「さざなみの 志賀の大わだ 淀むとも 昔のひとに またも逢はめやも」を意識したものと思われます。この和歌は、かつて大津京が栄えていた頃に思いを馳せたものです。

第三高等学校水上部の艇庫は、浜大津の近く、三保ヶ崎に所在していました。この艇庫は、今なお現存しています。

「しがのみやこよ いざさらば」は、作者自身が、三保ヶ崎から遠征に出発する決意を示しているものと思われます。

それに加え、都への別れを告げているのは、第三高等学校が所在する京都への別れ、つまり、勉学の日々からの解放も暗に示しているのかもしれません。

2番「まつはみどりに〜」

まつはみどりに すなしろき
おまつがさとの おとめごは
あかいつばきの もりかげに
はかないこいに なくとかや

まつはみどりに〜おまつがさとの

2番の歌詞は、近江舞子のことを歌ったものです。この地域は、「涼風・雄松崎の白汀」と呼ばれ、竹生島や彦根城とともに、琵琶湖八景に挙げられます。

あかいつばきの もりかげに

緑の松、白い砂、赤い椿、3つのコントラストが、美しい情景を思い起こさせます。

小口が遠征中に立ち寄ったとされる「雄松館」には、実際に椿が植えられていたそうです。

「赤い椿の森かげに・・・なくとかや」は、前述した「芳水詩集」の一節、「赤き灯かげに泣かれぬる」を意識したものと思われます。

雄松館で目にした赤い椿と、芳水詩集の一節が重なって、このフレーズが生まれたのではないかと想像されます。

はかないこいに なくとかや

「なくとかや」と伝聞表現で終わることから、この話は、地域伝承を示したものと思われます。

この地域には、「比良八荒」の伝説があります。

ある僧侶が托鉢行脚の間に病で倒れたところ、ある家の住人に助けられました。そこには若い娘がおり、献身的な看病の中、恋心が生まれました。
翌年、お礼に訪れた僧侶に、娘は思いを伝えました。しかし、修行中の身にあった僧侶は、娘の思いを受け入れることができず、対岸の比良まで百日間通い続けることができたら、夫婦になりましょう、と告げました。
それ以来、娘は、比良の橙火を目標に、毎晩たらいで通い続けました。
そして百日目、娘が湖上に出ると、比良おろしで燈火は消え、娘の船は荒れた湖へと沈んでしまいました。

近江舞子周辺は、毎年3月頃になると、比良おろしという突風が吹き荒れます。比良おろしには、失意のままに沈んだ娘の思いが現れているとの伝説があるそうです。

比良おろしの時期は、椿の咲く頃と重なります。また、3番の歌詞に登場する「『赤い』泊火」というフレーズが、「『赤い』椿」と相まって、橙火を目標に比良に通い続けた娘のことを連想させます。

作者の思い

真相は分かりませんが、小口の死因について、親戚の女性との結婚が叶わなかったことを苦にした自殺であったという説があります。もし、小口が当時からその女性に対して恋心を抱いていたならば、比良おろしの伝説と、自らの恋心を重ねていたのかもしれません。

3番「なみのまにまに〜」

なみのまにまに ただよえば
あかいとまりび なつかしみ
ゆくえさだめぬ なみまくら
けふはいまづか ながはまか

なみのまにまに〜なみまくら

「まにまに」(「隨に」)とは、「成り行きのままに」という意味です。また、「あかいとまりび」とは、今津港の灯火のことです。

前述した「芳水詩集」の一節、「赤き灯かげに泣かれぬる」を意識したものと思われます。

また、「ゆくえさだめぬ なみまくら」は、われは海の子の歌詞、「行手定めぬ 浪まくら」から着想を得たものと思われます。

この歌詞をそのまま受け止めると、「波の流れに任せていたら、今津港から遠く離れたところに着いて、今津か長浜か、自分がどこに向かうか決まらないままに、あてもなく船旅をしている」という意味になります。

ただ、4番以降で竹生島、古城(彦根城)、長命寺が登場することから、歌詞に登場する人物は、決してあてのない漂流の旅をしているわけではありません。この歌詞は、現実の航路ではなく、作者の心境を示したものではないかと思うのです。

「あかいとまりび」の意味

前述のとおり、「赤い泊火」は、人生を旅に例えた「芳水詩集」の一節と、「比良八荒」の伝説を意識したフレーズではないかと思います。そうすると、「なつかしみ」とは、近江舞子で聞いたこの話が、自身の人生と重なってしみじみと思い出されることを、暗に示しているのではないかと感じました。

もし、作者が、「比良八荒」の伝説に自身の恋心を重ねていたならば、「ゆくえさだめぬ〜ながはまか」は、自らの恋の行方が定まらないことへの複雑な心境を比喩的に表現したものではないか、と想像されます。

万葉集に、次のようなものがあります。
「みさご居る沖つ荒磯に寄する波行くへも知らず我が恋ふらくは」
 「行くへも〜恋ふらくは」とは、波の行方も、私の恋の行方も分からない、という意味です。

1番の歌詞から、小口の文学に対する造詣の深さを読み取れることに鑑みれば、「ゆくえさだめぬ〜ながはまか」が万葉集を意識していることに違和感はありません。

おわりに

3番までの歌詞を読み解くと、作者の文学に対する高い見識とともに、この歌に込めた作者の心境が浮かび上がってきました。

単なる「旅の歌」にとどまらない謎めいた歌詞が、多くの人を魅了してきた理由の1つなのかもしれません。

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