「三行で撃つ」を読む前の自分には、もう戻れない。

文章が上手くなりたい。それくらいの心持ちで手にした「三行で撃つ」だったが、そんな軽い気持ちで、読んでいい本ではなかった。

その程度の思いならこの本は読まなくていい。

書くとは、文章とは、言葉とは、表現とは。答えのない疑問の中で足掻き続けている人にこそ読んでほしい。表現することが生きること、そう感じたことが一瞬でもあるのなら、ぜひ読んでほしい。

ただ、注意してほしいのは、この本に答えは書いていない。問い続けるその姿勢が正される。背筋が伸びる。

たとえば、流行語を使ってはいけない理由を筆者はこう説明する。

流行語を使うとは、世間に、言葉を預けることだ。言葉を預けるとは、自分の頭を、自分の魂を、世間に預けるとことだ。

自分がいかに無自覚に言葉を使っているのかを考えさせられる。そして、この先どのように言葉を使っていくのかを、考えなければいけない。

それは、どこに自分の言葉を、頭を、魂を預けるのかということだ。どうせなら、自分が信じれる場所に預けるべきである。

そのためには、目の前のことを観察し、言葉にする。これを繰り返すしかない。語彙力・表現力を伸ばす。それは、自分自身を作り続けることに等しい。

わたしで<ある>のではない。わたしに<なる>のだ。

世間の言葉を拒否し、自分の言葉を探し求め、見つける。その言葉を通して、わたしに<なる>。

そして、その言葉を使って表現をする。なぜそうまでして表現しなければいけないのか。それは、世界はくだらないから。

世界は愚劣で、人生は生きるに値しない。そんなことは、じつはあたりまえなのだ。世界は、あなたを中心に回っているのではない。宇宙は、あなたのために生まれたのではない。

だから、人類は発見する必要があった。歌や、踊りや、ものがたりが、<表現>が、この世に絶えたことは、人類創世以来、一度もない。それは人間が、表現を必要とする生物だから。

私たちには、表現が必要である。それだけは紛れもない事実である。そう感じたのであれば、ぜひこの本を手に取ってほしい。


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