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「なぜ」という言葉に潜む危険

最近子供がなぜなに星人になってきました。

「なに」はGoogle先生に助けを求めるとか、答えようがあるのですが、「なぜ」は結構「なんでだろーねー」と逃げることもあります。

そんな問答をしながら思い出したのが、仕事上での「なぜ」の使い方で自分がとても困った経験でした。

当時の上司がこちらのコメントに「なぜ」を連発してくる人だったのです。ただ、そのなぜにうまく答えられない場面が多々ありました。答えられないことで、当時はすごく苦しんでいたのですが、答えに窮する質問を並べて俯瞰していくと、ある共通点がありました。

「答えを返せる形の「なぜ」ではない」

のです。

それは「なぜ戦争をしてはいけないのですか」「なぜ人を殺してはいけないのですか」という質問に酷似しています。

問いがでかすぎるのです。答えとなる要素は無数にあり、それを理路整然と組み立てて説明をするには時間が必要で、即答は不可能です。

質問をした方はそれで「どや、答えてみい。ん?できんのか?」という顔をしているのかもしれませんが、はっきり言ってこのようなでかい問いをそのままぶつけるのは筋が悪い。

相手が答えを返せる形の問いに分解(昇華)したうえで、相手にぶつける、これこそが質問をする価値のある「なぜ」です。その「なぜ」を「どのように聞くのか」という点まで意識をしているかが、質問をしている人の問い方でわかります。

特に仕事上で上司部下のような立場間でのこのようなやり取りがあった場合、部下は基本的に答えないといけません。従い、立場上強い上司はよりこの「なぜ」の聞き方を吟味しないといけないのです。

名人級の方が使う包丁は切れが良すぎるので、素人が使うと全く切れないか、大ケガをすると聞いたことがあります。「なぜ」という言葉も、それ自体が持つ強さはそのレベルです。だからこそ、トヨタの5ナゼ、コンサルのwhy so/so whatなど、巷のビジネス書にもうんざりするくらい出回っているのです。しかも入手が難しい名包丁と異なり、言葉は誰でも使えるからそりゃいろんな本に書かれますよね。

言葉はきちんと作法を覚えたうえで使っていくべきもの。言葉の作法の中で「その人が相手に対して、思いやりをもって言葉を介して接しているか」が一番見るべき点かと自分は思います。

それは仕事上であっても同じです。むしろ「言葉を介した人と人とのコミュニケーション」という大きな括りで見たときに、仕事でこの作法ができない人がプライベートでできるとはとても思えません。

今は難しいですが、言葉をこれから覚えていく子供にも、こうした大事なことは教えていきたい。ふとあの時の苦い経験とそこから学んだ教訓を思い出し、子供に受け継いでいってほしいことが一つクリアになった5月末でした。

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