腐女子が仁亀・KAT-TUNにはまってしまった訳⑤2005年〜2005夏
2005年ごくせん以降の事は、私のnoteに興味をもって読んで下さっている方々なら分かりきっていると思いますが、当時仁亀好きすぎテンションのまま作った年表やレポが折角残っていますので、色々省略しつつ順を追って書いていきたいと思います。
なお、題名にもプロフィールにもしつこく書いています通り私は筋金入りの腐女子です。全て私の主観が入ったレポであり、捉え方や考察に不快な表現があるやもしれませんので、不安な方はご遠慮頂ければと思います。
☆2005年1月15日「ごくせん」が始まりました。二人が演じる矢吹隼人と小田切竜に、ファンだけでなく世間の皆様も魅了され、平均視聴率は28%、最終回は32.5%超えの大ヒット(ドラマでも仁亀ピンキー、特に第五話二人がカフェでバレンタインデーチョコの数争いしてる時しっかり確認できます)
☆1月28日、2月4日。あっという間にスターダムにのし上がった仁亀人気に乗らない手はないと、KAT-TUNは2週連続ミュージックステーションに出演。
2004年まで、ジャニーズの亀梨君にハマっちゃったと伝えても、は?誰それ?と言っていた友人が、亀梨君凄いじゃん!と連絡くれたり。
当時私はピアノの講師をしていたのですが、何人かの生徒さんに、先生は赤西派(隼人派)?亀梨派(竜派)?と聞かれたり、筆箱に赤西君のシールを貼ってる生徒さんを見た時は、世間の人気の凄まじさを肌で感じましたね。(生徒さんにはジャニオタ腐女子であることは隠しつつ亀梨君かな?とすまして答えてました💦)
ちなみに痛いこと言ってるのは承知の上なのですが、私の中で小田切竜は亀梨君ではないんですよ。当時の亀ちゃんは綺麗で色気あるけどブサ可愛いところもあって、でも小田切竜は完璧な美人にしか見えず、あの時は本当に亀梨君の演技力と憑依っぷりに痺れました。
そして、隼竜にバッタバッタと堕ちていく腐女子の皆様を見て2.5次元の世界を知った私は、やっぱ腐女子ホイホイだよな仁亀と思った事をここでお詫びします。
☆2月25日。あの有名な、仁亀上半身裸でベットイン写真が載ったジュニアカレンダー発売(あれ撮ったのアマンさんだったのかしら?2003年の仁亀ほっぺチュー写真といい、アマンさんは完全に腐男子で仲間だと勝手に思っております。違ってたらすいませんm(_ _)m)
2月はごくせん撮影中で、そんな動きなかったんですが少クラでは仁亀ピンキー外してましたね。途中仁君だけしていましたけど。
エンディング曲の時、赤西君が亀梨君の頭に自分の頭くっつけて頭突き攻撃したんですが、亀ちゃんが逃げて、その後適度な距離で赤西君と肩を組みカメラアピール。赤西君は亀ちゃんの方見て怒ったふりして睨んでましたが、亀梨君仁君見ずにとにかくずっとカメラ目線でした。
☆3月ごくせん終了後(ワイドショーで仁亀抱き合う映像流れましたね)25日に急遽スペシャルコンサートが行われる。
【うろ覚え参戦レポ・仁亀萌少々]
✳︎流れ忘れましたが、仁君「寿司とめでーす!」と金八時代亀梨君の真似をしていました。
✳︎ごくせんコーナー。亀梨君が隼人~隼人~と甘い声で呼んでいたらしい。その後仁君が何度も呼ばないでくだパイと言ったらしいです(全てC様談。アホすぎる私はこの時トイレ行っていました)
✳︎ごくせん赤西と出れてよかったと、亀梨君が言っていました。
✳︎最後に上半身裸で並ぶ、仁亀二人の背中の白さ、広さの違いに非常に萌えました(体格差萌え腐女子です。ちなみにこのコンサートで、仁君「care」を初披露。しかし当時の曲名は「I know」でした)
本当のことかどうかわからないのですが、この時期、他メンバーにも注目がいくように、仁亀はあまり二人で仲良しアピールしないように事務所から指示されたという噂が流れてきました。
ジュニアの時って、ファンが少クラ収録後普通に並んで本人に手紙渡しにいけるし、マネージャーもおらず基本電車移動だし(こんだけ仁亀人気出てるのに電車で大丈夫かよ?と心配でした)個人情報も守られず統制されてないんですよね。
summaryの時も仁Pと亀が喧嘩して亀が仲間はずれにされているという噂が流れ、あれは結局Pと亀が喧嘩しただけだったみたいですが、とにかく昔からしょっちゅう、女性関係も含め(^_^;)色々な噂がファンの間に回ってきてました。
このコンサートの時も、亀が赤西君に、仁!とか隼人〜!!と呼んで絡んだことを事務所に注意されたという噂を聞きまして、そういや2月の少クラでも、赤西君が頭突き攻撃して絡んでるのに、亀梨君は逃げたり、赤西君と目合わせないようにしてたなあと思ったりしました。
☆4月 日テレで、KAT-TUN初めてのレギュラー番組「ミンナのテレビ」が始まり、赤西君はドラマ「anego」出演決定(このドラマもヒットして新規の赤西担が一気に増えました)
そう、2月3月の少クラでは、二人ともしてなかったり、時々赤西君だけピンキー確認できたりだったんですけど、4月の少クラではぶっといお揃いピンキーリング復活していました。
しかもこの時山PがいるNEWSゲストの日で、2004年の仁亀ピンキーへの流れ思い出しちゃいましたね。
仁と山Pは相変わらず普通に仲良いんですが、P亀はカメラ回ってるのにsummaryの時より酷い😅亀は一応山Pの方見て話してるのに、山Pほとんど亀梨君見ない。歌う時も亀梨君と山Pの間だけやけに広く隙間空いてるし目も合わせない。いくらなんでもわかりやすすぎるだろ!!としまいには笑えてきました。
☆4月27日~5月15日 大阪梅田芸術劇場で、HEY!SAY!DREAM BOY公演。
赤西君はアネゴ撮影だったので、5人でのドリボだったのですが、仁君千秋楽の前日には大阪に来て客席に挨拶してくれて、千秋楽は稽古全然できなかっただろうに、出演までしてくれました
私は千秋楽の日、初めてドリボ亀梨君のアクロバットを間近で見て、この子を一生見続けたい!と重いオタク全開で思いましたね。
ちなみにこの千秋楽の次の日だったかが6月放送予定少クラ収録日で、この日のテーマ、love&naturalなものの中に仁君がKAT-TUNもあげて、後ろの画面にワチャワチャしながら映るメンバーを振り返り笑っていた赤西君の笑顔が印象的でした(このあたりで二人ともピンキーしなくなりましたが、相変わらず仁亀普通に仲良しだったので、まあずっとしてるわけにもいかないだろうし、半年以上腐女子にいい夢見させてくれてありがとよ!!と思いました)
☆5月にはKAT-TUNLIve海賊帆のDVDが発売され、まだデビューしてもいないのにバカ売れ。
☆6月から全国ツアーSpring2005LOOKING KAT-TUNが始まる。レポが残ってたのでちょっと載せます。
【うろ覚え仙台参戦レポ】
✳︎外周を回るメンバー達。この時、仁君が突然前を走ってる亀梨君に走りよっていき、衣装のフードを後ろから亀梨君の頭にかぶせました。(仁君笑顔で亀梨君はびっくりした様子)
✳︎仁君が亀梨君の後襟を掴んで、カメムシと言ってステージの火が出るところに立たせ火出してくださいと言った時は赤西てめーふざけんな!!と思った(仁亀担と言いつつ強火亀担だったので、時々赤西君に大人げなく切れてました💦)
✳︎多分この時中丸君が亀梨君のことかばって、亀梨君が中丸カッコいい!みたいに言ったら、赤西君が、亀可愛くなってると、急に亀ちゃんを褒めだしました。
✳︎亀梨君がなんかでボケたら、仁君が亀梨君を呼び寄せ、亀梨君素直に仁君のところへいき頭を叩かれていました。
✳︎合宿所のようなホテルに泊まり、田口君、赤西君、竜っちゃんで亀梨君を驚かそうと30分くらい押し入れに隠れていたが、亀梨君全く驚かなかったらしい。6人が風呂上がりのタオルだけ肩からかけてるみたいな格好てトランプする様子がスライドで映ったりして、なんかKAT-TUNてほんと自由なダチ同士の集まりって感じでいいなと思いました。
✳︎メンバー全員でアクロバット大会。待ちの間だったかな?ステージの隅か下でしゃがんでいた亀梨君の近くに赤西君が来て同じようにしゃがみこみ、亀梨君の耳元で何か言って、亀梨君もそれに頷いて二人で笑いあったりしていました。
私この日アリーナ最前列だったので、ライトに照らされていない二人の表情まで見えて、観客を意識していない素の仁亀を見れているような気がして胸が熱くなりました。
[パンフレットレポ]
仁「グループである以上、お互いをフォローしあっていかなきゃいけないんだけど、俺は前に進むことしかできないし。何かがあった時に、誰かを支えたり全体をまとめたりすることがまだできてないなあって。具体的に言うと、例えばカメとかが、いつもトークがうまかったり、みんなをうまく仕切ったりしてるわけだけど、もしカメが崩れたとしたら、うまくフォローできないっていうか(略)」
(この後、メンバーそれぞれの良さを語っていましたが、このインタビューを見て、コンサートの時、あれ?今仁君亀梨君フォローしてくれてるのかなと思ったのは、本当にそれだったのかと思ったり。何より亀をフォローできてなかった自分を反省する仁君に萌えました)
☆7月 全国ツアーが終わり、仁亀オロナミンCやマリオのCM、KAT-TUNのCMも増えました。
亀梨君は歴代の先輩達な演じてきた3代目金田一少年役決定。7月30日には深夜にKAT-TUNの冠番組が単発3回のみですが始まります(これほんと神番組でした!)
☆8月19日Mステで青天の霹靂初披露。
☆8月27日,28日,29日LookingKAT-TUN2005ing追追加コンサートが行われ、私は仕事で参戦できなかったのですが、この時あの伝説の天狗グループが誕生しました。
ちょっとここで私的仁亀萌え雑誌レポ
【ポポロより】
亀「赤西は歩いてる時も雑誌読んでる時も、普段から鼻歌が多いの「ふ~」ってなんか歌いあげてる(笑)それがまた上手なんだよ、だから聴いてて全然耳障りじゃない。多分赤西はずごい歌が好きな人なんだと思う」
仁「亀はいつもワラワラしてるイメージなんだよね、コンサートの楽屋とかでも中丸とか上田にちょっかい出してガザガザワラワラしてる。雑誌やテレビのクールなイメージと、普段はまた違うところがおもしろいよ」
{赤西君はそのままカメ呼びだけど、亀梨君はなるべく赤西君を仁と呼ばないように気をつけだしてますね。でも正直この時は、後々不仲と言われるようになるなんて想像していませんでした)
【TVガイド】
亀「出演中のミンナのテレビも、もっといろんなことできるはずだし、まだまだ俺達は駆け出しだから努力を惜しまず常に進化し続けなくちゃ」
仁「俺達はまだまだやることがいっぱいある。ミンナのテレビでも歌やコントに挑戦したいし、立ち止まってる暇はない。今後も成長あるのみです」
というわけで、とりあえず2005年8月まで書いてみました。
他にも書ききれないくらい色々ありましたが、とにかくごくせん以降は、2004年まで、TV出演ほとんどないけどデビューできるのかしら?とヤキモキしていたのが嘘のように、ファンは嬉しい悲鳴を上げていました。
そして、いわゆる私達、ごくせん前からの古参ファンは、KAT-TUNのCDデビューを今か今かと待ち構えていたんですよね。
メンバーや仁亀のインタビューもやる気に満ち溢れていたし、8月のコンサートの後だったかな?はっきり時期覚えていないんですけど、KAT-TUNがラスベガスだかニューヨークだかに行って、デビューシングルのPV撮りに行った噂もあったので、M様やC様、他新たにできた仁亀、KAT-TUN友達と、never again?GOLDかな?ハルカナ約束もいいね!みたいに話したりしていて
今思えばね、彼らが楽しくできているなら、そんなCDデビューに拘らなくてもよかったのかもしれない。私達からのプレッシャーが、亀梨君やメンバーを苦しめてしまったのかもしれないと、ふと考えてしまうことがあります。
ただ、私は古参といっても2003年からですが、結成当初からのファンの方々は、2003年夏に、KAT-TUNデビューかも!と期待していたけどできなかったという経緯があるので
古くからのKAT-TUNファンは、あれから二年経っているし、これだけ売れたんだから今年の夏こそは絶対にKAT-TUNCDデビューでしょ!!って気持ちが凄く大きかったんですよね。
しかし中々デビューの知らせは来ず、その代わり9月に発表されたのが、KAT-TUNグラチャンバレーの応援プロデューサー就任と、亀梨君と山下君のドラマ「ノブタをプロデュース」。
そこまでは良かったのですが、同時に亀梨君と山PのCDデビュー発表されたことで、私の主観ですが、色々なことが変わっていったように感じています(一番変わったのはP亀の関係ですね😅)
えっとごめんなさい。きっと野ブタをプロデュースで亀梨君ファンになった方々、P亀好きな方々、本当に沢山いると思うのです。
次のnoteから、2005年9月以降、修二と彰CD発売発表以降の事を、あくまでも私の視点から書きますが、もしかしたら、それは違うんじゃない!!と思われるような表現もあるかもしれませんので、読むか読まないかは、ご自身の責任でお願い致します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?