腐女子が仁亀・KAT-TUNにはまってしまった訳④2004夏〜2005
2004年夏、NEWSとKAT-TUN中心に、ジャニーズJr.達も多数出演する舞台SUMMARYの公演が発表されました。
前回の記事で、SUMMARYが、仁亀・KAT-TUNの運命を変えたと書きましたが、これは大袈裟でもなんでもなく、実際この舞台を見に来た日テレ関係者の目に止まり、仁亀はごくせん出演を果たし、KAT-TUNの知名度は爆上がりします。
しかし、そんな未来知るよしのない私は(それどころじゃない辛い未来も待ってますけどね)7月15日に行われたSUMMARY記者会見で、山Pを真ん中にして並ぶ仁亀の姿を
ハア!仁君カッコいいし亀ちゃんほんと可愛いくて綺麗😍なんでこの子達デビューできないの?あの美少年山Pと並んでも全然見劣りしないじゃない!と、親バカならぬ自担バカ全開で見ていたのを覚えています。
今でも後悔しているのですが、私、2003年から抗いようもないほど亀梨君にハマっていたのに、26にもなってジャニーズJr.のコンサートや舞台行くとか無理だわと自意識過剰に思ってしまって、色々情報追いつつも結局お茶の間ファンを抜け出せず、このSUMMARYも行かなかったんですよね(当時は推し活なんて言葉はなかったですしね)
そのかわり毎日毎日、ファンブロガー様のレポを読み漁り、KAT-TUNや亀梨君のパフォーマンスに思いを馳せておりました。
すると、そんな私に手を差し伸べるように、ワイドショーがSUMMARY特集してくれることになり、その日ラッキーにも仕事がお休みだった私は、TV前にスタンバイし、久々に民放に出るKAT-TUNの出演を待ち構えました。
この時もね、多分私がKAT-TUN好きすぎるあまり嫉妬でそう感じてしまっていただけなのですが、NEWSの方が紹介される時間長くて
2グループとも同じくらいメインで身体張ってるのに!こっちは見に行けないんだからもっとKAT-TUN映しなさいよ!とTVの前で文句を言うモンペみたいになっていましたね(ていうか見に行けよ!なんですけどね)
ただね、両グループが並んでスタジオのコメンテーターやアナウンサーに挨拶する時の、俺らデビューしてねえけどNEWSに負けてねえぞ!みたいなKAT-TUNの気迫やオーラは堪らんかったですし
レポだけで想像していた、亀梨君の宙吊りアクロバットが実際の映像で紹介された時は
えー!!アイドルって舞台でここまでするの?と驚愕しました。踊ったり歌ったりする姿は見たことありましたけど、アクロバットする姿は見たことなかったですからね。
私の亀梨君への想いはこの番組で益々膨れ上がり、KAT-TUNにはジュニアのまま終わってほしくない!絶対デビューしてもっともっとテレビでも観れるようになってほしい!と心底願いました。
そして私事なのですが、実は私が、仁亀への想いを抑えられず、三次元二次創作サイトを始めてしまったのが、この2004年の6月6日でして(当時は6にこだわってたんですよね😭)有難いことに、そこに遊びに来てくださった方々から感想メールなどを頂くようになっていました。
その中でも特に頻繁にやり取りするようになったのが、KAT-TUN結成当初から仁亀を追いかけ、後に数年の間共同でサイト運営し、2000年から2002年の仁亀雑誌レポにも協力してくださったM様と
私と同時期に仁亀ファンになったものの、私と同じく中々現場にまで行く勇気が持てず、次にコンサートあったら一緒に行きませんか?と誘って下さったC様でして、この二人には本当に情弱な私は助けられましたし、今でも心から感謝しています。
ちなみにこのSUMMARYの時って、実はそんな仁亀絡みはなく、むしろ仁P(山Pです)の絡みが凄くてですね、仁亀喧嘩してるとか、亀が仲間外れにされてるなんて噂が出ていたんですよね。
まあしかし、この時亀梨君と仁君、Jr.も一緒にペットショップ行って、ワンちゃん飼ったりしてるので(後の蘭ちゃん、赤西君はピンちゃんだったかな?)多分喧嘩してたわけではないと思うのですが、2003年ほど、仁亀すげー!みたいな絡みはなかったんです。
SUMMARY終了後、彼らはハワイに旅立ったのですが、そのハワイで撮影だったMYOJYOでも、仁が山P好き好き言ってて、仁亀担のM様やC様と
チッ!うぜえなと話すくらいこの時期は仁Pでした(山P今となってはごめんなさい)
ところがです!KAT-TUN達がハワイから帰ってきた後、9月放送の少クラで、衝撃的なことが起こります。
スタジオ収録は、彼らがハワイへ行く前の撮影だったのですが、間に挟まれた、ハワイ帰りの仁亀が、TOKIO先輩へインタビューしにいくコーナーで
なんと!赤西君と亀梨君の小指に、お揃いのピンキーリングが光っていたのです!
私は最初見た時全然気づかず(観察眼0の女)Mさんが
「唯さん少クラ見ましたか!!仁亀が右手と左手の小指にお揃いのピンキーリングしてます!」
というメールをくださったので慌てて確認し、実際その指輪を目にした時の衝撃、今も忘れられません。
はっきり言って2003年夏の仁亀は、二人お揃いの指輪しだしてもおかしくねえなくらいに思っていましたが、2004年のSUMMARYでは、本当に仁亀よりも仁Pだったので
え?なにこの仁亀腐女子に対する激しい鞭と
そんな鞭の痛みなど遥かに凌駕するとんでもなく甘い飴!!と、ちょっとしばらく私、頭がショートして呆然としました。
M様とも話していたのですが、ジャニーズのツートップやシンメと言われる男同士は今までもいましたが、どんなに仲良くても、二人でお揃いの指輪をしたシンメなんて一人もいません(仁亀以降いるのかもしれませんが当時はいませんでした)
しかも、二人がシンメであることを意識したのか、まるで二人で一つでもあるかのように、赤西君が右手の小指、亀梨君が左手の小指にはめていて
2002年まで、ペアリングなんて気持ち悪くてできるか!と言っていたはずの二人が、お揃いの指輪をする意味ってなんなの?
こんなの見せられて興奮しない腐女子いるわけありませんよね?
それともあれは腐女子をおびき寄せるための計算?いやこの際計算でもいい!!
それからはもう、私達仁亀信者腐女子達はとにかくずっと幸せでしたね。
少クラでは当然二人のピンキーが常に見れるし
11月には仁亀のごくせん出演が発表されて、その時の私達の喜びと興奮といったらなかったです。
少クラのKAT-TUNパフォーマンスも益々磨きがかかっていって(9月の少クラで初披露されたnever again、12月に披露されたGOLDは私の中で傑作です)仁亀も普通に仲良しで(師走って何?と顔を見合わせるおバカ仁亀可愛いかったですね!)
12月少クラの、仲良しなJr.同士で相手への気持ちを手紙で読みあうコーナーは仁Pでしたが
ふっ!仁亀にはお揃いのピンキーあるもんね!みたいな(子供じみたマウント)
そう、仁Pの手紙で思い出したんですけど、2003年だったかな?仲良しなJr.に手紙を送るコーナー、仁亀担に、仁に手紙送ること期待されてるのわかってただろうに、亀梨君はクマのぬいぐるみにお手紙送ったんですよ。
僕にはお友達いません。自分自分だからみたいな内容で、でも私、亀梨君のそんなところにもキュンキュンしたんですよね。
私の勝手な解釈なんですけど、亀梨君て仲良しな芸能人のこと、相手からの許可があれば別ですが、相手が言わない限り自分から絶対に言わないんですよ。
2003年の仁亀ってどう考えても仲良しだったけど、だからこそファンの前で手紙読みあうのは、亀梨君の性格的に無理だったのかなと思ったりします(読みあうのがダメとかではないですよ!)
て、話を戻して2004年12月、KAT-TUNLIVE海賊帆が、横浜アリーナで行われることが発表され、私この時は、迷わずC様と行く決意をし、M様ともその日実際に会う約束をしました。
そして2005年1月。C様がアリーナの二列目というとんでもない良席を当ててくださって(ちなみに2回入って二度目は花道トロッコ近くでした)
私はついに、初めて本物のKAT-TUN、仁亀を見たのです。
作り込まれた世界観、完成度の高いダンス、歌声、パフォーマンス。
魅せると楽しませるのバランスが絶妙で、私は初めて触れる世界にとにかく圧倒され魅了され
今までテレビやレポで想像するだけだったKAT-TUNが目の前にいる。
こんな美しい人たちが実在するなんて
仁亀というシンメがこの世に存在するなんて奇跡だと、この時の私は本気で思いました。
ここで、大したこと書けてないんですが、当時のうろ覚えレポと、パンフレットの仁亀会話を全部ではないものの載せたいと思います。
【6日参戦覚えてる限りの仁亀レポ]
✳︎ファイオーナイ。DVDでは切り替わってましたが、亀梨君赤西君の背中で回転するふりつけ、赤西君亀梨君降りるまでしっかり支えてました(当たり前のことだけど萌えた)
✳︎小さなトロッコに一緒に乗っていた仁亀、仁君の手が亀梨君の頭に当たってごめんみたいなやりとりを二人でしてました。
✳︎絆を主題歌と間違って言っちゃってた亀梨君、MCで男女だけじゃなく、男同士の友情だったりみたいなとを言っていました。(このMCで「絆」は亀梨君が仁君のことを思って書いた歌詞だなと、自分の中で勝手に決定)
・コンサート終盤、亀梨君がトロッコに一人で乗って客席を周ろうとした時、後ろから仁君が走ってきて「待って!!」と手を伸ばし亀を呼ぶも、亀梨君全く仁君に気づかずトロッコ出発。
亀梨君トロッコからファンサービスでニコニコ手を振ってるのに、私を含めファン達が必死の形相で「戻れ戻れ!!」と後ろを指差し叫ぶ。
何事かとキョトンとしつつ後ろを振り返った亀梨君。無事手を伸ばす仁君に気づき、しっかり戻って仁亀でトロッコに乗ってくれました!
[パンフレットレポ]
メンバー二人ずつになっての対談(亀梨君ソファーに座って高い位置にいる仁君を見上げる姿、それを上から見下ろす仁君の写真が素敵です)
亀「リハーサルやってる時って、だいたい赤西がメンバーにやるぞ!って声かけて進めていってる感じで」
仁「それはカメだろ。常に全体のことを考えて」
亀「いや、俺は結構自分のことでいっぱいいっぱいになってるから(笑)」
(この後延々褒めあい、互いについての語りあいが続きます)
仁「構成に関してはカメも俺も自分のことを後回しにして、まず全体を考えてその後細かい部分を決めてくタイプ」
亀「そういう時の赤西は飛ばし屋だから(笑)誰かの意見に対して、駄目、イヤってドンドン言ってくタイプだから。そこで具体的にこうした方がいいんじゃない?って俺が言うことはよくあるかな」
仁「それはカメがちゃんと全体を見てるからだよ。それもありだけど、こういう理由でそこはこうした方がいいんじゃないって、言ってくれるんだよね」
・KAT-TUNについて
亀「昔は学校の友達みたいな感じで、一緒にふざけてるのがただ楽しいみたいな。それが仕事仲間って意識に変わったね」
仁「お互いに責任を持って行動できるようになったからね、付き合いも長いし、信頼は大きい」
亀「俺らなんてもう6年ぐらいの付き合いになるからね、長いよね(笑)」
仁「小学校の一年から6年まで、ずっと一緒にいるようなものだから(笑)」
亀「そうそう、悪ガキだった時代から知ってるから(笑)」(略)
仁「でもさ、付き合いが長い分改めてこいつはこういう奴と思いながら相手を見たりしないから対談で相手のことを話すのは逆に難しい」
仁「もちろん、この6年間の間にはケンカしたこともあるし(略)ねえ、何か一つ俺らの思い出をあげるならなんだろうね?」
亀「うーん、なんだろう、昔の話だけど、靴の話とか」
仁「あ、俺もそれ言おうと思った(笑)」
昔、一週間靴を交換しようと二人で言って、亀梨君は買ったばかりの白いバスケットシューズを仁君に貸したのに、仁君は履きすぎてかかと開いてパカパカになった靴を亀梨君に貸しました。
仁「気づかなかったんだよ~(笑)」
亀「俺びっくりしたもん(笑)」
仁「で、結局そのままになっちゃったんだよな」
亀「いつもそこ曖昧にされちゃうんだけどね、Pが勝手に履いてったとかPはPで、仁が貸してくれたんだって言ってるし」
仁「あいつが勝手に履いてったんだよ(笑)」(略)
仁「まあでもいいじゃん、そういう貸し借りできるくらい仲がいいってことで(笑)」
亀「そうだね、まあ俺も、仁に借りっぱなしのTシャツとかあるし、ごめんね(笑)」
仁「いいよいいよ、そこはお互い様ってことで(笑)きっと俺らのキャラは、こんな感じでこれからも変わらないんだろうね」
(最初は仕事上なので赤西呼びしてた亀梨君が後半には普通に仁と呼んでるところがツボでした。)
というわけで、2004年summaryから、2005年ごくせんが始まるまでのKAT-TUNはこんな感じです。
後々仁亀が終わることも、更に聖君、田口君が脱退していくこともわかっているので、正直書いていて切なくなるような感覚もありますが
今自分の中で、ようやく全て過去の美しい思い出として捉えられるようになりましたし、今は、他にも推しができつつ、ゆるく落ちついて亀梨君、KAT-TUNを応援できていますので
次は、2005年から2010年、仁亀がおわる赤西君脱退までを、うまく纏められるか分かりませんが色々省略しつつ、私なりに書いていこうと思います。
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