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私のピアノ人生③
こちらの続きです。
中学になり
部活と勉強は大変だわ
友達いないわ
不良に目をつけられて殴られるわ傘投げられるわで、ピアノの練習ほぼできなくなった私ですが
中2ではそれもなくなり
(不良に何もされなくなったきっかけ機会があったら書きたいと思います)
友達もでき
練習量もまた増えて
音楽教室の選抜演奏会にはまた出れるようになります。
しかし成績悪すぎて中2の夏塾に入れられたことで
やっぱりもうピアノ続けるの無理じゃない?
となったものの、中々やめる決断はできず続けていたところまで書かせて頂きました。
兎に角この頃の私の頭に音高や音大という選択は全くなく、だけどやめるのは勿体無いよなという中途半端な気持ちのままむかえた中学3年生。
中1は暗黒
中2は安定とすると
中3は↓にも書いた通り
私的に先生もクラスメイトも最高な学年でした(BLにはまり筋金入りの腐女子になった時期でもあります)
その上塾で教え方が凄く上手い先生に出会い
私は理数系が苦手だったのですが数学は大して伸びなかったものの
理科はその先生のおかげで成績上がって
今まで大嫌いだった勉強が前より楽しくなっていきます。
そんな中、夏に高校見学があり
なるべく電車通学したくなかった私は
第一希望の公立高校自転車で行ける2校を選び見学に行きました。
その2校のうちの一つが
大学のように自分で進路を決め授業を選択するという高校だったのですが
めちゃくちゃ広くて綺麗で
ここに通えたらいいなあ✨と思ったのですよね。
ただその高校の偏差値が当時結構高くて全然足りておらず、中学の先生に相談したら
唯さん今成績伸びてきてるし、私立の併願を余裕ある高校にするなら公立は挑戦してみてもいいんじゃない?と言ってくれました。
そこでピアノより勉強にシフトした私と母は
中3の夏、一旦ピアノをやめる決意をします。
(実は秋くらいに、その高校の音楽系で推薦受けられるという話もあったのですが、中1中2の成績は全然よくないしピアノもやめてしまっていてまともに弾けず推薦は普通に落ちました😅)
そこからピアノは一切練習せず
毎日必死に勉強しまくって、無事その高校に一般入試でギリギリ合格できたのです。
そして全然話し変わるのですが
私は小さい頃からピアノやってはいたものの
所謂学校の音楽の伴奏というものは、小3で選ばれた時以外ほぼやったことはなく、あまり学校でピアノ弾くこともなかったんですよね。
小学生の頃から
音楽の授業の伴奏は、可愛くてモテモテな子がやっていたので、そういうものだと思っていて
中3のクラスでピアノ伴奏やってた子はまさに!
可愛い上に勉強も学年トップで性格まで優しくてお茶目で男子にも女子にも大人気のパーフェクト女子だったのですが
やっぱりね、伴奏は可愛いモテモテ女子がやるべきだ!とつくづく思った出来事がありました。
中学のイベントに合唱コンクールというものがあり
中3にもなると皆塾があって帰りたがったり
不良少年達なんてまともに歌ってもないし
放課後練習誰も真剣にやらずひどい有様だったんですよ。
しかし皆がやる気なく騒がしい中、黙って伴奏を弾いていた彼女が突然涙を流したのです。
そしたら先程まで、練習なんてやってらんねえよとか、早く帰りたいとか言ってた男子達が急に
「みんなちゃんとやろうぜ!」
と張り切りだして
おいおい、さっきまで私ら女子がちゃんとやりなよみたいに言っても適当な空気出してヘラヘラしてたのに、クラスのマドンナが泣いた途端なんだいその変貌ぶりは!
と思いましたが
そこからクラス一丸となって練習しだして、確か金賞か銀賞だったかな?とったんですよね。
これは本当に
美女の涙の威力は凄い!
と心から思った出来事でした。
ちなみに上記に書いた通り、私は学校でピアノを弾くことはほぼなかったものの
中3の三学期最後のテストは自由だったのでピアノ弾いたら
クラスのみんなに唯ちゃん上手かったんだねと言われたり
マドンナ的存在の彼女にも、凄いね!どうしたらそんなに弾けるの?と言われ
その時期は調子に乗っていました。
しかし、多分クラシックいった方ならわかると思うのですが
ハッキリ言って中学でちょっと上手いなんてのは、音大目指すってなるとまあ全然通用せず
ギッタンギッタンな目にあい
私の心に深く刻まれた
音大教授に「この子はだめだ」と言われた話しを次回書きたいと思います😂