過去とか

保育園のとき、小学生にあがってからも周りに馴染めなくて、軽いいじめを受けていたんだ。いじめというのは言い過ぎかなと言うくらい。自分もそれがいじめだと気づいていなかったくらいの嫌がらせを受けていた。学年があがり、気がつけば嫌がらせは無くなっていたけど、仲のいい友達はいなかったように思う。周りに馴染もうと精一杯だったなぁ

中学でも友達作りに失敗して、ひとりぼっちになってしまった。でも部活が一緒だった友達が優しくて、部活に行けなくなった私に手紙を書いてくれるくらい私を大切に思ってくれていた。それでも辛くて、色んな悪いことを覚えたというか、自分を大切にできなくなったのもこの頃だったかな。心理学を勉強し始めたのもこの頃。

高校に上がってからはホントに頑張った。合わないと感じている友達にも、適度に素を出しながらも必死に合わせていた。ずっと笑っていなきゃと思っていた。
話せる友達は何人かいた。でも、いわゆるニコイチみたいな、移動教室で一緒に移動してくれる友達は、その合わない友達しかいなかった。もうひとりぼっちになるのはいやだ。頑張り続けていたんだけど、その友達も私と合わなかったみたい笑。
「あなたがどうなっても、私はどうでもいい。」そう言われてしまった。
今までギリギリ繋いでいた何かがそこでプチッと切れてしまった。
その日決行したことは失敗に終わってしまったわけだけれど、その日から私の暗い気持ちはどんどん膨らんでいった。
今まで「いざとなったら逝けばいい」と思っていたお守りをなくしてしまったのだ。自分にできる精一杯が失敗に終わったんだ。逃げ場を失って、ずっとこの世界に閉じ込められているんだという感覚になった。
そこから色々弱くなっていって、気がついたら涙が止まらなくなっていた。
数人の友達とご飯を食べてるとき、模試のお昼休みに廊下でダベっているとき、トイレに逃げ込んでもずっと涙は止まらなかった。
そんな泣きじゃくってる私が「精神科に行きたい」と言ったら、さすがの親も慌てて連れて行ってくれた。

主治医には「あえて病名をつけるなら適応障害だね」と言われた。
お薬をもらって、本当に落ち着いた。お薬の効果もあるけど、なにより主治医がいい人だった。初めて分かってもらえたと思った。
いまでは精神科には、頓服の抗不安薬と睡眠薬が終わったら受診している。

その友達とは不思議なことに、今では親友に親しい関係に発展した。お互い友達が少なかった。お互いが模索し続けた結果がいま。
適応障害による消えない不安感を抱える代わりに親友を手に入れた。
これでよかった。

大学受験。親に背中を押され続けていた看護の道を選んだ。親のせいにしてもいけないね。いけないけど、強めに押されたからさ笑
止まらない涙と高熱をなんとか抑えて受けた受験は合格。看護に早くも嫌気がさしていたから、あんまり嬉しくない合格通知だったのを今でも覚えてる。

そんな気持ちで通った看護大学。
適応障害の後遺症である不安感はずっとあったけれど、友達ができた。先生も優しい。課題も授業も多かったけど、勉強をするための環境は完璧だった。

足りなかったのは私の覚悟なのかも知れない。
友達含め、色んなひとが私を支えてくれてるのをわかっているのに逝こうとしている自分さえも嫌になった。

いいなと思ったら応援しよう!