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「山びこ学校」の無着成恭氏。
先日、職員の先生が
「自分の母親の母校が『山びこ学校』のモデルとなった学校なんです。」
と教えてくれた。
「山びこ学校…?そういえば」
今まで何度か話を伺ったことがあった。
『山びこ学校』とは、昭和26年に出版された作文集である。
この作者は、無着成恭氏という山形県の中学教師で、
曹洞宗僧侶として住職もつとめていた。
職員のお母さんは山形県出身ということは知っていた。
昔から里帰りで山形へ行くことがあり、
自分も近年、山形へ行くことがたびたびあったので山形の話をしていた。
先日、ふと無着氏の話を振られたのだが
恥ずかしながら記憶もおぼろげで「山びこ学校」という言葉で思い出したのだった。
『山びこ学校』は無着氏が、中学校で社会科の一環として生徒に教えた生活綴り方をまとめた作文集である。
昭和20年代の子どもたちが
「自分たちはどう生きるか」を綴ったものとして、多くの共感を呼び、映画化もされた。
その無着成恭氏が先月21日、遷化されたという。96歳だった。
父に聞くと
無着氏は祖父の知り合いで、何度も蓮田にお越しいただいていた。
伝記によると、山びこ学校の子どもたちが自分の周りの環境から自ら学んでいく姿勢を認め、それを言葉に置き換えて作文することを教えた無着先生の方針に、
祖父は自分も戦前に受けてきた日本の良き教育をみる思いがしたのだという。
蓮田幼稚園での講演は評判になり、昭和29年、50年、52年、58年、60年、61年と来園いただき、その間に園の母の会の主催で須賀神社のそばにあった蓮田会館で映画の上映会も開かれた。
山形出身のお母さんもきっと驚いていらっしゃるだろう。
伝記をお貸しした。
こうして、著者である親戚の飯田よし子さんはじめ多くの方の尽力のおかげで、今も学ぶことがある。
あらためて感謝申し上げたい。
また多く示唆に富む教訓を著し、その姿勢を現代に伝えてくださった無着成恭氏のご遺徳を偲びたく思う。
合掌
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