責任と甲斐性。〜責任篇〜
世はコロナ全盛期。
このご時世でも閉まらない大手ブラック企業のAE○N。そこのフードコートに必ずと言っていいほど存在するブラック企業代表の某ファストフード店で相変わらずの社畜生活を送っていた私は"彼女"に出会った。
そう。写真の彼女。
……2回目の投稿にしては重苦しい議題ではあるけれど、今回は『責任と甲斐性』について。
22歳にもなると そんなことを考えたりもするのです。
責任に関しては、前々から常々無碍にしてはならないと心に留めてはいたのだけれど、今回は責任を負うための+a甲斐性についても。最近考えさせられる事象が起きたので、この機会に。
さて、この子猫。どうやら○EONの立体駐車場3階にいたところを客に保護され、警備員に届けられたらしい。
産まれて2、3週間の子猫が1匹、3階の駐車場に、ねぇ……。
防災センターの扉の奥の薄暗い薄寒いところ。書類整理用のカゴを通気口代わりに、ガムテープでぐるぐるにダンボールの上に固定した中に彼女は鳴いていた。
ダンボールには「どなたか引き取ってくれる方。見つからなければ保健所に。」
たかが霊長類ヒト科の生き物がその他の生き物の生き死にを決める。
おかしなことだと誰も疑わないものか。
保護した者、それを預かった者。責任転嫁ばかりで。責任は誰かに押しつければ良いものなのか?
それとも、本来死ぬはずだった命に"僅かではあれど生きる機会を与えた''とでも言うつもりなのだろうか。
ならば、こんな時化た店の従業員の中だけじゃなく里親を探すなりなんなり方法があるだろう。
他人の前で、自分の中で、自分を悪者にしたくないだけ。
「可哀想。」そんなエゴに視界を遮られ自分の手に負える事柄、負えない事柄の分別ができない。
半端な優しさなんてものは逆に残酷なものだと思うのだが。つくづく世の中偽善ばかりだと思う。
……却説、そんなこんなで。ここからは引き取った私の責任。
偉そうなことを言ってはいるけれど、自分だってその場の「お前らとは違う」という気持ちに流された偽善者。
(補足:主に母親のせいでうちには既に猫が4匹いる。)
引き取ったからにはなんとしても"責任を持って''育ててやろうと腹を括った。
……それとなく周囲に「かわいい子猫飼わない?」と冗談半分で言いふらしながら。
長くなりそうなので今回はこの辺で。
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